神仏との出会い

嵩山少林寺の裏山、少室山山頂達磨堂にて、達磨大師の神より、お話がありました。

ようこそ、この達磨堂に来てくださいました。

私がここで修練をしているときには、もっと時が緩やかに流れて、

9年という時は、あっという間に過ぎて行きました。

9年と言いますが、足かけ3年半ぐらいのことです。

それほど、9年間も座り続けたわけでもありません。

私は、実際には3年半ほど、ここに座って修練をしていました。

食事も2,3日に一回程、食べておりましたし、排泄もこの近くでしていました。

洞穴の中は、清潔に保っておりました。

ここに僧侶が食べ物を運んでくれて、多少の出入りはしても、

私はほとんどの時間を座り続けて、修練を継続していました。

それはそれは、安らかな穏やかな時を過ごしただけのことで、

決して厳しい修練ではありませんでした。

私の話は随分、伝説として大げさに誇張して伝えられています。

たかだか3年半、座り続けただけのことなのに、9年の長きに渡って修行したと、掛け算されています。

もちろん私が、この地でそれくらいの年月を過ごしたということはありますが、

伝説とは大袈裟なものです。

様々なことが大袈裟に都合良く書かれています。

神仏との出会い

医緩の神は続けます。

足腰がたたなくなるといわれているように、

足それぞれの関節、肩も含めた上半身のそれぞれの関節も、

病と連動して水がたまったり、炎症が起きたりということがあることを、

私は何例も経験してきました。


ただ、ただ、病人を見ただけでは分かりませんが、

私はその観察力を研ぎ澄ませて、

そういう神からの力もいただいて、閃きも、もちろん降ろされた言葉もあってのことですが、

様々な病気と治療法、病人と病気の結果を、体験してきたのです。

まさに、体験をし、その体験を発展させた結果が

「病膏肓に入る」という言葉に結実しました。

何処に原因が有ると分かったにしても、

治療をあきらめざるを得なかった私に比べて、

新しく貴男の創られた功法は、

そうした病の人々に回復の手を差し伸べるものであり、

それを開発した貴男を賞賛せざるを得ません。

免疫力が適正に活性化し、適正に働くことによって、

病の原因を持っている者は、どれほど助けられることかということを、

驚きをもって貴男にお伝えします。

本当に良い功法を、創ってくれました。

これにより人々が、救える所に居る者は救うことが出来ることを、伝えておきます。

私が肉体を持っている時には、救える所に居る者でも救うことが出来ませんでした。

神仏との出会い

先日書きました「医緩」は、紀元前590年ごろから573年頃の人だそうです。

神になっておられますので、横隔膜について伺ってみました。

横隔膜は其の昔、どのように把握されていたのか教えてください。
なにも当時は分かっていなかったと言うより他はありません。

ただし、人の身体を見、人の身体に触れ、人の身体をとことん観察し、

その病の因をたどるならば、熱病で亡くなる者達は、この膏(こう)肓(こう)たる所に病因があり、

そして病の結果が、そこに伏せられるという思いがありました。

触れてみて、感じてみて、そこの部分の重いだるい、そして汚い印象があると、病は治らず、

同じ症状でも、そこが柔らかくて、みずみずしいと病は治るということを、

何例も 経験をしながら、私は、この横隔膜が極めて重要な、

疾病に関わる鍵となっていることを、発見したのです。

神仏との出会い

先日アップしたのですが、どうした訳か写真等が欠落していました。
と言うわけで、再掲載します。

浅尾投手の投げ終わったフォームを見ると、金剛蔵王権現を思い出します。

よく似てるでしょ?

憤怒の形相で、邪悪を蹴散らす所が、ピッタリですよね。(相手チームのバッターさん、御免なさい)

奈良の金峯山寺・蔵王堂、秘仏・三体の金剛蔵王権現が久しぶりに公開されました。

先日、見に行ってきました。

2001年以来です。

その時の模様はこちらをクリック

見てきたのは下の写真のもの

神仏との出会い

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神仏との出会い

昨年10月29日掲載しました「キュリー夫人3」を再掲します。

博物館内に入ったら、キュリー夫人からのお話がありました。
我々は、人から神になられた意識に限り、お話しすることが出来ます。
単に死んだだけでは、話すことが出来ません。
さすがにキュリー夫人は人類に多大な影響を与えた方だけに、神になっておられたわけです。
無精な私が行ってみようと思ったわけが判りました。
そのキュリー夫人からのメッセージを書いてみましょう。
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粗忽者の私は、数々の失敗を繰り返して、その失敗が成功となって、実験の成果に現れました。
私が、できたことは、粗忽者のゆえに、数々の実験を繰り返して、分析をして実験を繰り返す。
ただただ、その努力を繰り返すことでした。


元来の粗忽者ゆえ、かずかずの失敗をして、その失敗が次から次に成果となったわけです。
この私の失敗は、神の導きによって知らされた結果であったと、後から判りました。
私は、努力することを嫌いではなく、毎日が充実していました。


その発見した放射線が、人の世の発展のために役立つであろうと確信して、努力を惜しまなかったのです。
人を殺す兵器となった現在では、残念きわまりない気持ちを持ちつつ、
わたしのそれも定めであると、道を究めさせてくださった神々にお礼を申し上げているところです。


私の人生は、仕事を生きるしか道がありませんでした。
他のことに喜びを見いだすことが出来なかった私は、
不精者で女性としては気のつかぬ仕事しかできないの世間の狭い、そんな道を歩んできました。


全く粗忽者の人格としてはたどたどしい、生き方をしてきました。
しかし、繰り返して一つのことに集中する。熱心に考える。
このことが許された私はしあわせでした。


主人の残した功績を私が懸命に集めて、それを深めていく喜びを感じています。
人のために生きることは身を捨てるということですが、私にとっての身を捨てるということは、
他のことに気を配らずとも良い、科学に没頭する生き方でした。そんな生き方が出来て、
一心に一つのことを追求できた私の生き様は、普通の生き方とは違い、
うらやましがられる生き方とも違いますが、とても充実した人生でした。


分子科学で成功を収めましたが、これも導きによって、懸命に生きる道を与えられ、
懸命に努力する道を与えられ、毎日の研究に努力する道を与えられて、
毎日の研究を与えられて、発見と喜びを与えられました。


しあわせな生き方を与えられた私は、極めて良い人生を歩くことが出来ました。
当時としては、新しい発見にみちみちていて、鉱石からエネルギーのもととなるウランが発見出来たときには、非常な喜びでした。
これが、世界の発展に役立つと思っていました。

世界が発展されることに使われることを望んでいました。
世界の発展は、無情です。この無情なることをわれわれもまた、あなたがたに、導いているのです。


発展を信じて研究を重ねてきた者の科学の進歩とは、
   破壊と破滅の道を歩くということを私は知っています。


このこともまた、あなた方もすでにご存じのことだと思っています。
私は、科学の研究と努力と発展の喜びの連続でいたが、
それがまた、破壊と破滅の道を進むことになることをあなた方は知らねばなりません。

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実験器具類も非常に簡素な物ばかりでした。

超能力・潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with キャノンS90,シグマDP1,サイキック写真-日之本元極 気功 文化 

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神仏との出会い

行ってみるとショパン博物館は閉まっていました。
よって、その入り口でショパンの神にお話を伺ってみました。
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お伝えします。
私の生きた時代は、もっと生き生きとしたリズムにみちていました。

「転ばぬ先の杖」これが、私の生きた生命力の全てです。

手の先に杖を持ち、それがペンとなって楽譜を書き、それが私の生命力の源となりました。
降ろされた楽譜を書き写し、鍵盤を叩いて楽譜に書き下ろし、世の中に広めていきました。
それは、美しい世の中だったから実現したことです。
現在の喧噪の中では、実現しなかったことです。


騒々しい、喧噪の中で私の曲は生まれません。
ゆったりとながれる美しい時代の背景があったからこそ、誕生したのだと思います。


きょうここに、あなたを迎え、あなたが来てくださったことで、騒音の中の曲想を授けます。
このことを許されました。


騒音の中でも安らかな曲想が、あなたの手元に手渡されます。
それを才ある者が、曲として現していくでしょう。
この喧噪たる世の中で、心も体も癒される音楽があなたに手渡されて、
それが日本で拡がり、日本から世界へ 優麗なる「音」の世界が再現されることを望んでいます。

優麗とは、優雅で、麗々しいようすのことです。
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いつか、才能のある方が私の前に現れれば、伝音によってショパンの神から戴いた力をお渡しできるでしょう。

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神仏との出会い

ワルシャワで、もう一箇所行きたいと思ったところがあります。
ショパン博物館です。

行きたいと思ったからには、ショパンは神になっているはずだと考え、直接聴いてみることにしました。
やはり神上がっておられ、以下がその返事です。


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ポロネーズ第6番変イ長調Op.53「英雄」が代表的な作品として有名ですが、私の大好きな曲でもあります。
(ポロネーズは、ショパンの祖国ポーランドの貴族の間に伝わる民族舞曲で、
比較的テンポの遅い威厳に満ちた格調高い3拍子の音楽です。ショパンは生涯で、
18曲のポロネーズを書いたと言われています。)
この曲が私の支えとなって作曲を構成していきました。
わたしが、作曲家として名をなしているのは、それは時の流れを変える音楽が、
世の中に要求されていたにすぎません。

この曲が私の支えにもなりました。

この土地に生きた者の特質があたえられた神のしらべです。
降ろされた曲を私が書き写しただけのことです。
ただ、ただ、それだけのことで、私に神から与えられた仕事です。 

人が私を偉大だと言いますが、それは、降ろされた曲をただただ、
真似て演奏してそれを作曲して、自分の仕事として見せかけていただけのことです。

見せかけの姿ですから、恥ずかしいこと極まりがありません。
私は、そのことを喜びに思っていました。
神に与えられた仕事を忠実にこなしていたことが、
今の世の中でもてはやされているだけのことです。

役割を与えられて、それを忠実にこなしたことが、わたしの仕事の、そして人生の全てでした。
そもそも作曲など出来るわけもありません。
私の才能が、生み出したことでもなく、私の喜怒哀楽に応じて、神々がそのつど、授けてくださった。
それだけのことです。

ただ、私がなしえたことは、降ろされた曲を忠実に、ひきこなす努力をしました。
日々努力をして、はやく鍵盤をたたくことの努力をしました。
その努力が報われたことは、最高の喜びです。

あなたが、来てくださいますこと喜びにします。館は、人ごみの多いところです。
館の中でなくとも、一目、わたしの顔を見ていただけたなら喜びとします。
(ここまで、博物館に行く直前に、ショパンの神に可否を問いました。)
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(つづく)

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神仏との出会い

博物館内に入ったら、キュリー夫人からのお話がありました。
我々は、人から神になられた意識に限り、お話しすることが出来ます。
単に死んだだけでは、話すことが出来ません。
さすがにキュリー夫人は人類に多大な影響を与えた方だけに、神になっておられたわけです。
無精な私が行ってみようと思ったわけが判りました。
そのキュリー夫人からのメッセージを書いてみましょう。
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粗忽者の私は、数々の失敗を繰り返して、その失敗が成功となって、実験の成果に現れました。
私が、できたことは、粗忽者のゆえに、数々の実験を繰り返して、分析をして実験を繰り返す。
ただただ、その努力を繰り返すことでした。


元来の粗忽者ゆえ、かずかずの失敗をして、その失敗が次から次に成果となったわけです。
この私の失敗は、神の導きによって知らされた結果であったと、後から判りました。
私は、努力することを嫌いではなく、毎日が充実していました。


その発見した放射線が、人の世の発展のために役立つであろうと確信して、努力を惜しまなかったのです。
人を殺す兵器となった現在では、残念きわまりない気持ちを持ちつつ、
わたしのそれも定めであると、道を究めさせてくださった神々にお礼を申し上げているところです。


私の人生は、仕事を生きるしか道がありませんでした。
他のことに喜びを見いだすことが出来なかった私は、
不精者で女性としては気のつかぬ仕事しかできないの世間の狭い、そんな道を歩んできました。


全く粗忽者の人格としてはたどたどしい、生き方をしてきました。
しかし、繰り返して一つのことに集中する。熱心に考える。
このことが許された私はしあわせでした。


主人の残した功績を私が懸命に集めて、それを深めていく喜びを感じています。
人のために生きることは身を捨てるということですが、私にとっての身を捨てるということは、
他のことに気を配らずとも良い、科学に没頭する生き方でした。そんな生き方が出来て、
一心に一つのことを追求できた私の生き様は、普通の生き方とは違い、
うらやましがられる生き方とも違いますが、とても充実した人生でした。


分子科学で成功を収めましたが、これも導きによって、懸命に生きる道を与えられ、
懸命に努力する道を与えられ、毎日の研究に努力する道を与えられて、
毎日の研究を与えられて、発見と喜びを与えられました。


しあわせな生き方を与えられた私は、極めて良い人生を歩くことが出来ました。
当時としては、新しい発見にみちみちていて、鉱石からエネルギーのもととなるウランが発見出来たときには、非常な喜びでした。
これが、世界の発展に役立つと思っていました。

世界が発展されることに使われることを望んでいました。
世界の発展は、無情です。この無情なることをわれわれもまた、あなたがたに、導いているのです。


発展を信じて研究を重ねてきた者の科学の進歩とは、破壊と破滅の道を歩くということを私は知っています。

このこともまた、あなた方もすでにご存じのことだと思っています。
私は、科学の研究と努力と発展の喜びの連続でいたが、
それがまた、破壊と破滅の道を進むことになることをあなた方は知らねばなりません。

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実験器具類も非常に簡素な物ばかりでした。

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神仏との出会い

キュリー夫人博物館で戴いた紹介文の続きを転載します。
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キュリー負債のウラン功績放射能の研究は、1898年に強い放射能を持った二つの新化学元素、
すなわちポロニウムとラジウムの発見に導いた。

1903年、マリヤ・スクオドフスカ・キュリーは放射性物質の研究により物理学博士号を授与され、
同時に彼女の夫とヘンリー・ベクトルと共にノーベル物理学賞を授与された。

ピエール・キュリーが1906年4月19日に事故により亡くなった後、
マリヤ・キュリーはソルボンヌ大学物理学部の彼の講座の後継者として指名された。

1911年に彼女はノーベル化学賞を金属ラジウムの分離に関する業績によって受賞した。

マリヤ・スクオドフスカ・キュリーは、1912年にラジウム研究所をパリに設立するために努力した。
彼女は亡くなるまで研究所の物理化学部長を務めた。

第一次世界大戦中、彼女は移動X線班を組織し、前線にて自ら装置を操作して傷病者を検査し、
又放射線技師を訓練した。

1918年から1934年の間に彼女はポロニウム、アクチニウム、トリウムの放射能を研究し、
同時にパリのラジウム研究所にて運営と教育の務めを果たした。

フランスに深く関わった一方で、マリヤは常に祖国と緊密な連絡を取り続けた。
彼女の努力と指導によって、ポーランドの放射能研究所は放射能の研究を展開することが可能となった。

彼女の先導と雅量により、人間の命を救い健康を守るため、
ラジウムの治療効果を第一とするワルシャワのラジウム研究所が1932年に創立されることが決定した。

マリヤ・スクオドフスカ・キュリーは、長年にわたる放射性物質の被爆によって引き起こされた白血病のため、
1934年7月4日にフランス・サボア地方のサンセルモで亡くなった。

彼女は科学的業績によって広く認められ、数多くの賞や表彰、そして多くの大学からの名誉博士号、
学会からの名誉会員資格を授与された。

彼女の業績は、放射線科学の基礎を形成し、物質構造の統一見解を発展させ、
又世界に原子核の時代を開くことになった。

ポーランドの偉大な同胞に対する経緯表明として、キュリー夫人生誕100年を記念して、
彼女の思い出に捧げるユニークな博物館が設立されることになった。
博物館は、ワルシャワのフレタ通り16番地に位置し、ポーランド科学協会によって運営されている。
マリヤ・スクオドフスカ・キュリーは、ポーランド化学協会の設立者の一人であり、また名誉会員でもあった。
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キュリー夫人博物館内の展示物です。

超能力・潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with キャノンS90,シグマDP1,サイキック写真-日之本元極 気功 文化 

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