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今年の3月、次のような言葉が降ろされました。
新宮修練舎をこれ以上発展させることをしなくて宜しい。
今後 新宮修練舎に入れる者たちは スタッフのみになります。
一部の上位の修練者と スタッフたちのみです。

多くの者たちが 修練をする場所ではありません。
今後、講座を受講して 錬功をする者たちの会場は、

新宮修練舎とは 別の場所に創ります。
もっと、来易くて 講座も錬功も出来る場所を創りなさい。
この新宮は、階ふた以上の修練者の修練の場所です

スタッフと同じように、上級者の修練場所になります。
これ以上の 修練者は、今後はそれほど多くは増えません。

これ以上、この場所を手入れする必要はありません。
この場所に、お金をかけて修繕をする必要も 大きくはありません。
しかしながら、されとて 見栄えのよいものに 変更できるところは 変更しなさい

たとえば、ペラペラのカーテンなどです。
見栄えばかりではいけません
しかし、見栄えも大事です。

もうすこし、見栄えの良いものを購入しなさい。
設備そのものを 手入れしなくてもいいです。

この新宮は、修練舎として、存続します。
今後は スタッフや上位の修練者の錬功場になります。
事務所の機能も、他に移ります。

もうしばらくで、事務所は別に移動します。

講座や入門生徒の錬功が中心に行われます。
この場所は、主にスタッフが錬功の仕方を学び、

成長する場所になります。
従って 寝泊まりする者たちも 増えてきます。

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カタカナの神様へ

私が、カタカナで名前を書きました。
名刺の裏です。それに、婆たぬきが手をかざして感じてみようとしています。

ところが、手をかざして 感じようとしてもはっきりとした体感が無いと言うのです。

これはどうしてでしょうか?

誠に、普通のようであって、極めて波動が細かいので、浸透する力が細かいから
手をかざして感じてみようとしても それは手の内部まで浸透するのです。 
全く分からないような、それでいて手は分からないけれども、

身体にはエネルギーが届いているような、そういう作用になっています。

あまりのエネルギーの波動の細かさによって、手をかざして感じようとしても、

手自体がエネルギーの中に包まれてしまっているのですから、分からないのです。

手にエネルギーの感覚が分からないのは致し方がありません。
手だけでは無くて、身体全体もエネルギーの中に包まれているのですから、

分からないのは道理です。

しかしながら、文字の光具合は極まって輝きを増しています。
物質的な感覚で感じようとせずに、悟ることしかありません。
または、身体全体の感覚で感じてみるほかはありません。

より精妙で、より細やかな波動とは、親和性が極めて高くて分からないのが正解なのです。

かといって、
ひらがなが下で、カタカナが上位の神であるとは言えません。

このエネルギーの違いは 終末の時を刻む仕事を任されたのが
カタカナの神であるということによります。

カタカナの神が威力を発揮する終末の時が来たことを意味しているのです。

終末の仕事を カタカナの神がすることは、日之本元極の力が 一段と上がったということになります。

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元極功法の最終的に能力として獲得できるものは、
念力に集約されます。

三元の中で一番物質に近い元気(気)や、

元光(エネルギー)を自在に動かせる、働かせるのは、

元音(情報を伴ったエネルギー)であるからです。

意念した(思った)ことが、実現する能力です。

「階む」の敲門(門を敲{たた}く)講座、

「階ひと」の入門(ここでようやく入門します。)講座、「階ふた」登堂講座を経て、「階み」の入室講座でその方法を伝えられます。伝えられたことを、身につけられるかどうかは、その後の修練と養徳次第です。 

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中国元極功法では
子時の時間が一番効力が高いと言われています。

それは人が生きて老化していくということは、

陽の気を消耗しやすいという理由からもいえることです。
その原理は、元極功法にも当てはまります。
ですから、陰中の陽の時には、
際立った陽の気を補充することが出来ます。

陽の気の高いときに修練をすれば、

その人の年齢からくる老化や病気を防ぐような効果はあるといえます。

しかしながら、
日之本元極の功法は、修練をすることによって陰陽が調整される功法

「調気功」や 「収式調和」が存在しています。
さらに功法そのものに、天地につながり 
陰と陽を 均等に受け取る力があるわけです。
そのように改善されています。
ですから、中国元極功法のように、
修練をする時間を気にすることはありません。

それらの時間にとらわれて
現代人が個々のリズムを崩してしまったり、

生活リズムを変えてしまう必要はありません。
張志祥先生が元極功法を公開した時の時代と、
現代日本の生活様式では、大きく生き方が違っています。
それぞれが、社会生活をきちんと充実させて、
さらに修練をこなすことこそ、我々が望む修練の方法です。

修練をする時間帯に 気を取られることはありません。

自己の生活リズムを大切にして、修練時間を保証することです。
修練時間のこだわりに、押しつぶされる必要はありません。

自分が修練できる時間が 最良の時だと考えるべきです。

功法の修練時間にとらわれて、

修練スタイル、生活スタイルまで変えることは無いということです。

古い元極功法にとらわれる必要はありません。