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[増田]
それではどうしたらこういった症状の者を、
社会に融和させることができるのでしょうか。

[発達の神]
発達障害の脳の働きを持たない人格が存在しており、

その人格が操る脳の能力を高めているのです。
なぜそのようなことが起きるかといえば、一つの人格に与えられた、
新しい働きがあります。
極端に特化した能力を発揮するという分裂が起きています。
極端に新しい能力を発揮するという分裂はどうして起きるかと言えば、
ひとえに発達被害に他なりません。
発達被害を受けた人格における能力不足を補う為、
一つに働きとして、別の人格がそれを補っている上に、
其のことが能力の分断、格差を生んでいる。
その能力の格差は大きく分ければ、二つあります。
完全なる物の把握ができないということ。
それは、人の能力から吸収できないという事です。

よって記憶の力をもって、この統治が上手くいかない状況を

改善させます。
一つの能力を頼っているだけでは、
その人物が上手く社会に適応できないという事が発生してきますから、
一つの人格にまとめた上で、脳の回復をさせる処置をさせた方が良いのです。

人格を一つに纏めた上で、能力を上げる働きをさせることが重要です。
これまでは一つの人格にないという考え方がありませんでしたから、

発達障害と言えば、脳の不可逆的な働きにおいて、
細胞レベルで復活をさせなければ、問題が解決しないとされてきましたが、
そうではなく、分裂が起きている人格があるということを把握して下さい。
そのことによって、格段に状態が良くなるということが、予想されます。

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[増田]
発達障害の者の中に、ある一分野で飛び抜けた能力を表すものがいます。
こういった者達はどういったことで、このような症状が現れるのでしょうか。

[発達の神]
発達障害において、学習能力が高い者がいます。
それは、発達障害とは別の能力を使って、そのようなことが起きています。
別の能力というのは、発達障害を起こしている脳の働きとは別の人格が働いているから、そのような状態が生まれているのです。
発達障害における、高学歴、高学力の者は、発達障害の脳を持っている人格とは別に、発達障害を持たない人格が働いています。
そのような事が起きているという事が、彼らの能力の分離という面で、隔絶された働きがあり、その格差によって、
一つの仕事を任されないという状況が起きています。

一つの仕事を任されない、一つの物事がやり抜けない、
その者において、発達障害における人格と、発達障害を伴わない人格がおり、そのやり取りの中で、
発達障害の高学力を持つ者という分類がされているのです。
高学力の者が、発達障害の症状を伴う者がこの世には存在しています。
それが存在をすることは、アスペルガー症候群として名の知られたことではありますが、それは別の働きをしているのです。

発達障害というのは、脳内に虫食いのような巣の状態が作られて、その状態から、情報を確保できない、
ルートを確保できないということが起き、伝達物質が届かないという状態が起き、物事の把握を困難にしていますから、
物事を遂行することが出来ません。
ただし、一つの物事に関して、非常に高い能力を示す者がおります。
それは、アスペルガー症候群のようなものに分類されていて、我々はその分類の仕方について、異を唱えているのですが、
分類の仕方は、同列で同じ人物が、その状態に陥っているということになってしまいます。
それは間違いであり、人格の変動が起きているということなのです。
いわゆる「多重人格」ということです。

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[増田]
では、発達障害というのは、皆、神の意思により設けられたものであるということでしょうか?

[発達の神]

人々に発達障害の種を植え付けたことは、神々の意図することであり、
学習障害においてはその成り立ちが違うということです。

学習障害は、脳の一部破壊することによって症状が出ます。
症状は学習における欠陥部分を補うようエネルギー補填をして、
その部分の学習をさせる訓練をするという事が必要になります。
その上で、向上が図れるという事です。

次は、発達障害でも一番多い、自閉症スペクトラムについてお話します。

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発達障害の症状の違いについて
[増田]
発達障害の症状にもいろいろありますが、
なぜこのように多岐に渡る症状が出現するのでしょうか?

[発達の神]
発達障害の症状の違いは神々の意図するところであり、

その違いを以てして、人々の脳の働き方を変えています。
一つ一つの障害に応じた、其々の脳の不具合、脳の不完全さ、
脳に対する機能障害を生ませています。
脳に対する機能障害は其々の症状に応じて、
それぞれに値する違いをつけています。

一つには学習障害があります。
学習障害は呼んで字の如く、学習することに対する、

著しい空白があるという状態を創り出しました。
その空白の中には、動かせるシステム、脳を動かせるシステムを
破壊し、動かせないシステムに創りかえています。
脳の発達が良くないだけでなく、その症状に著しく関係がある、
脳の細胞の破壊を伴っています。

この破壊に対して我々が出来ることは一つ、三元エネルギーを促して、その破壊された箇所の能力を復元させるという事です。
三元エネルギーによって、復元のプロセスを我々掌門人は立てておきますから、

その通りに三元エネルギーの供給を促せば、
その破壊された脳細胞の復活を試みることが出来ます。

回復度は、其々の症状の度合いや、其々の症状の多様性であること、

それから症状がどれだけ生活の場面において支障があるかという事に応じて、
復活の度合いが一定ではない為に、
その復活を促す力が大量に必要な者や、
大量に補給しなければならない箇所など、状態に応じた施術が必要です。

その個々の条件に合った施術を行った上で、

まともな働きに近づけられるということを伝えます。
LDに特徴的なのは、LDは訓練や努力によって治るものではなく、
必ず脳細胞の活動を復活させなければ出来ませんから、
そこの所をよくよくと、日之本元極を訪れる人々に説く事です。

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[増田]
ADHDの発生起源についてお聞きします。

[発達の神]
ADHDの発生起源は紀元前9世紀にのぼると思われます。
そのような昔からの脈々と受け継がれている事には理由があります。

それは人々の脳の中にある変異体を神の意図によって起こしたからです。
神の意図によって起こされた変異体は、戦場において起こりました。
戦場にて人々は争いの中に人の意識を無くする、
一部無くすることで、人々の中に混乱をきたし、そしてその混乱によって必要なだけの殺傷をさせました。
混乱は人々の中に広がり、混乱の中において人々が

行動をすることを止める、その働きを持たせました。
必要なのは、混乱によって人々の戦闘を止めさせる意味あいが
あったのです。
混乱に乗じて、逃げるという判断をして逃げて行く者が出てきました。
その行動が広がったために戦乱を止めることが出来たのです。

子供のような発達障害を生めば、戦闘意識は乱れ、

戦場に行くことを拒み、戦闘に値する人格ではなくなる。
そのような状況が広がり、混乱を生む。
そういった働きを神々が持たせた。
それが事の始まり、それが発達障害の始まりだったのです。

人々の中の脳に、ある物質を流し入れました。
我々はその物質の中身をこれからご説明しましょう。
物質の中に脳の働きを止めるその役割をしているモノがあります。
それが環境ホルモンと一致するような働きをしている物です。
物質の中身は、未だ科学的に特定されませんが、

神々は言霊の元の働きによって、
脳細胞の一部を破壊するという情報を生み出しました。
言霊の元の働きによって、人々の脳の中に虫食いのような状態を
起こし、必要な情報を渡さないという働きを持たせました。

人々の中に、通常伝達されるべき脳内物質が与えられないのですから、
その脳は混乱に陥り、情報を発することは出来なくなります。
情報の発信を止め、受け取りを無くし、混乱を乗じさせる。
働く脳を、働かない脳にすることが神々の目的でしたから、

それは上手く成功しました。
争いごとを止めない人々の脳の中にそのようなモノを排出させました。
そのような事態が起きたが為に、戦闘意欲や戦闘の意志が削がれ、
戦いに参上しない者が現れたことが、事の発端です。

また、人々の意識図の中に、傷をつけました。
傷が残った以上、その傷を修復せねばなりません。
しかし、それらの傷は人々の能力によって解決するものでは無く、
神々の意図によって解決する問題であったということを思えば、
人々の中に行動が抑制された発達障害の者が次々に誕生していくという行動が生まれました。
それが神々達の意図であったのです。
神々達はこの意図によって、人々の中の混乱を乗じさせ、

必要なだけ動くのではなく、
必要に動けない者、必要に応じられない者を創り出し、
戦闘の混乱を生み、戦闘の役割を終わらせた、
というような働きをさせているのです。

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元極秘録の簡単な言葉に「道理がわかる」ということがあります。道理がわかれば、これこそ修練である。この身体、自分がそういう物事がわかって、今度初めてそうであると、無理させない。自分がいい状態になります。一人一人がいい状態になります。家庭では両方があります。陰と陽。男が陽で、女が陰。一方ができなくてバランスが崩れると和の状態になりません。それぞれできた自分になると初めて家庭も幸せになります。人はそれぞれ自分の努力で家庭がよくなる。みんなの努力で会社、世の中がよくなるという理論で元極では唱えます。
以前インドネシアから来て元極学を勉強している「りんさん」という方がいます。蓮花山にきて勉強する。インドネシアの方々は寄付が多いです。毎回毎回寄付します。ある日一緒になって蓮花山とは違いますが、お寺に行って寄付をしようとしたのです。お寺のお坊さんに褒められた。あなた方は本当に幸せな人間です。幸せな一人一人というのは、本人が修練しているということです。修練できて幸せに来れる。また寄付の心をもってさらに幸せになれるという言葉を聞きました。当時てい先生が隣にいたから。お坊さんにこの話を言われました。そこで思ったには人間がいい人になると、家でも修練している。一人一人家にいても自分を幸せにさせるという修練こそ、うちで言う修練であります。
こういう道理を理解して家にいても修練できます。対照的に中国の沢山のお寺では修練者というよりは仕事で行っている人が多い。大学を卒業して修練しています。それがあくまでも形で、本当の修練とは家にいてもできます。
今仏教の話をしていますが、翻訳は難しいですから。意味はウサギの頭から鹿の角を探す。これは不可能ですね。人間は無理をさせない。無理をする。不可能のことをすれば、自分を苦しめる。結果としては何も生まれません。苦しみだけが生まれる。物事を理解することが大事です。家にいても修練できる。言いたいのは、こういう方法論は、張先生が教えてくれました。張先生のしたことは、こういう理論を世の中に公開する。たくさんの人が深い山奥に行かなくても修練できるという方法を教えてくださいました。こんなに素晴らしいことを教えてくれた先生は、今は亡くなりましたけど、蓮花山には2億の財産があります。何もない土地から、開拓してたくさんのものを作られました。財産としては2億人民元があります。最後に張先生がすべて寄付しました。元極に寄付しました。元極のものになると。契約的には、政府で証明できる形でやっています。張先生の子供でも受け継げない。元極にあげるという形にしました。張先生がこんなにたくさんのことを残して、元極を残して、蓮花山を残してくださいました。我々は縁があって、元極に接して、本当に勉強を続けて欲しいと思います。
時間が来たようです。
短い時間でこれ以上話せませんが、ありがとうございました。

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せいか(精華)不明だと苦しい。世の中の規律、決まった流れ、人間は規律、流れがわからないから苦しんでいます。物事の運営の規律が理解できないから、自分が苦しいです。人間は先天の状態では幸せな状態です。子供はみんな喜ぶ。苦しみを知らずに。先天の人間は幸せです。後天になるとだんだん苦しくなるのです。人間の口、耳、鼻によって外部世界と接していて、人間の欲望や雑念が生まれてきて、苦しみが身についてきます。人間の欲望、人間の喜び、悲しみ、怒り、考えすぎ、憂鬱などがそれぞれ我々の五臓六腑を痛めています。
人間の欲が身体を痛めています。あと自然界、四季によって自然界も、風、雷、暑すぎる、寒すぎるなども身体に影響してきます。陽のとき、陰の時、夜と昼それぞれ人間の身体に影響します。欲望で痛められる。周りの環境で痛められる。何を言っているかというと、「せいか」のことです。「せいか」とは世の中の規律。それがわからないから人間は苦しい。どうやってそれをわかるかと言えば、無理をしません。無理に怒りすぎると自分の感情を痛めてしまいます。そういう規律がわからないから、いつも自分を無理させます。それで人間が苦しくなります。病気になります。四季のこと、自然のことで色々ありますから、悪い日に無理に何かをしようという時も自分が苦しくなる。それが世の中の規律なのです。規律を知らないと人間が苦しいです。苦しくならないためにはそういうこと理解した上で、理論を勉強して、修練して、きれいな自分になる。安定した自分になる。という話です。

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この図は増田先生が作った図ですね。もとつきわみ内景図。
これを見て毎回来て、いつも感動します。この図を見て日本の皆さんは理解しやすい、わかりやすいと思っています。こういう図で、元極の竅穴は、絵で、本で世の中に公開すると誰でも勉強できる。全て張先生によってなのです。それまでは何百年も歴史上では秘密で伝わってきたわけです。他人には教えない。とくに貫頂、玄関、天目を開ける。という方法は、近代になって張先生によって初めてこれが元極説が流れます。張先生の素晴らしい理論を公開されています。
今皆さんも同じですが、元極に出会って元極を勉強することはなかなかの縁だと思います。恵まれていると思います。中国でも昔や修練者を探す。修練したいという方が多いのです。深い山に入って仙人を探し、勉強したいという人が多くいます。本当のものを身につけるには、本当の人、大師に出会って教えてもらうことはとてもできません。皆さんがこういう形で簡単に勉強できることは、張先生のおかげだと思います。
一万人も、二万人も集まって勉強しますが、当時張先生が公開するために、学費が非常にに安い。入門しやすいという形で設定しています。それでも、貧乏で、蓮花山に来ることができない。自分の都合で蓮花山に決まった授業に行けなくて、家で修練するには本にまとめて教えるようになっています。昔の修練者は山の中に行って先生を探して、山の中で修練する。これが昔のやり方です。今は一般の人、たくさんの人に勉強してもらうには、家にいても修練できる。家で修練するという形にしますというのが張先生のお考えです。今の現代社会になってみんな生活、仕事があります。全部捨てて山の中に入って修練するという人はごく何人もいないでしょう。たくさんの人に勉強してもらうには家でも修練できるという形にしないといけませんと、張先生がいつもおっしゃいます。
私が重要に思うのは、「和」の字です。それぞれ人間は自分の家でも修練できる。一番の元は「和」を考えなければなりません。「和」は元極が求める徳でありまして、「和」ができてこそ、家庭も幸せになるし、会社も、世の中もバランスよくなります。「和」を忘れずに修練して頂く。

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「ひりん」の話からこのようなお話になります。詳しくは明日展開します。簡単に言うと元極学では道教、仏教、儒教の3つの精華(せいか)、素晴らしいこと集めて元極学にしています。道教も、仏教も儒教も性命の「性」に対しては非常に重視しています。そういう意味で元極では性命説、人間の先天と後天を分けて考えています。「浄、定、観、運、真」それぞれ修練のレベルを表しています。元気の段階、元光、元気と元光を化合、一緒にする段階。元音の段階。最後は気と光と音が一緒になって人天という段階になります。「浄、定、観、運、真」はたぶん最初は難しいだろうという印象です。それぞれ対応します。逆に考えると理解しやすいかもしれません。元気が満ちてくると浄、きれい、静か。という意味です。元気がたまると人間はきれいになります。頭がきれいになります。中がきれいになります。さらに修練しますと元光の段階。光が満ちてくると、「定」は安定の「定」です。人間が、中国語では「定力」という言葉がありますが、日本語でもそう言いますか?
定める力。定力というのは地震があっても慌てません。台風が来ても、津波がきても、安定します。ある程度までいくとこういう人が非常に落ち着くというか、しっかりするわけです。元光の修練の段階に来ると、人間はこういうふうに安定する。さらに次の段階にいくと「観」。これは観るという段階です。自分が物事がわかってきて、全てが観れるようになります。世の中の決まったこと。普通の人はどうしてそうなるんだろう。と思うような不思議が多いですが、こうなるとすべてが見えるという賢い時になります。次の段階は「運」。運会の「運」です。全部略字ですが。この段階に来ると動かせる。他のことも全部動かせる。人も、物事も動かせる。最後は「真」です。本当の自分になります。悟って全てがわかる。仏のようになります。
一部功法、二部功法の段階で「定」の方が少し入りやすいとおっしゃっています。人間がきれいになる。自分が「定」の段階になると、精神的に集中力もよくなるし、知恵がありまして、身体の方も悪いことが寄ってこない。
繰り返し説明しますが、次の「観」は、普通人間は道理がわからない。なんでどうしてそうなるのかという質問が多いが、この修練になると、周りのことは観ればわかるようになる。全てのことが理解できる。思想、考え、賢くなります。物事が全部理解できるようになります。階段のように、」5つの階段で、普通の人にとっては、きりがないでしょうが。最後の自分を見いだす段階があります。
こういう5つの段階。自分で静功を修練するとき、身体の方に対応しています。下丹田、尾ろ関、下黄庭の部分は「浄」の段階。元気のレベルです。中丹田、命門、中黄庭は平面図になって「定」の段階です。おそらくみなさんはここまで、これ以上はできていないかもしれませんが、五段階に分けてやっています。目標を立てて。こういうことであると理論、静功、竅穴も元極図という形で表現しています。

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元明塔の中は空っぽです。階段があります。階段は真ん中ではなくて周辺で階段が登るようになっています。窓が上に行けば行くほど、小さくなります。一番上11階に登るとほとんど外が見えなくなります。修練者が元明塔で経験するとわかることですが、各階で修練すると窓がだんだん狭くなります。外の世界は見えなくなります。見なくていいと。真ん中が空っぽで、人間として修練がある程度達すると目で外の世界を見るのではなくて、自分の中の部分に集中する。修練と同じです。修練すると自分の中の部分が明るくなります。自分の雑念だとか、欲望だとかは自分で閉鎖します。
元明塔は人間の身体と一緒である。張先生がおっしゃるには、人間それぞれ元明塔である。というお話をよくします。レベルが上に行けば行くほど、自分の集中力、自分自身に集中することが重要です。これは修練者が、普通に例えて言ったのですが、同じ十字真言を唱えるにしても、音楽が流れていても、自分の集中力がなくて他のことを考えると、形だけあっても他のことを考えると、目を開けて他のこと、門がしまっているか。心配ことが多すぎると、形だけ、精神的な修練にはならない。それはなるべく避けてほしいです。
元明塔の話をしました。元明塔の他には元極堂と「元極碑林」があります。元極堂は張先生のお母さんのために作った建物です。3階建てです。これもものすごくエネルギーが強いところです。反対側には「ひりん」。これは元極のために貢献された人、寄付された人の名前が書かれています。あるいは中国各地から有名な碑を作っています。元極堂は3階建てでさっき言ったようにエネルギーが強いところです。三階はそれぞれ、元気、元光、元音。これが元極の気功法です。気と光、音に分けています。エネルギーが強すぎて、ほとんどの人が一階で修練します。2階では相当レベルが高くて集中できない。さらに上にいって修練する人はなかなかいません。「元極碑林」。中国で有名なところは、石碑とか文化として残っています。昔のことが石に刻まれています。昔のものが石と言う形で残っています。「碑林」を作ったのは、「たく本」という形でとってきて、改めて作っています。伝統、文化。真ん中は元極の碑、周辺は仏教、道教、儒教、医学と武術。5つの部分にわけて、場所にそれぞれ碑を作っています。伝統、文化、有名な昔こうされたというものを集めています。道教と、仏教、儒教、医学、それぞれ道教では五行と言います。金、水、木、火、土。五行説も文化として残ります。同じく仏教では五音という形で残ります、儒教では五徳、徳が5つ。医学では五神と言います。元極学では五和。和を合わせます。五和というのは、「浄、定、観、運、真」今日は簡単に説明します。