拈華微笑(ねんげみしょう)

元極功法の功能伝授の方法は、「伝音」である。
伝授者が被伝授者に対して無音で能力を渡すのである。
それを被伝授者にも判りやすくしたものが、「伝訣」「画訣」「観訣」「授訣」
である。
しかし本来の伝授法は、「伝音」で事足りるのである。

この方法は、古来いろいろな宗派、功法でも用いられているが、呼び名はそれぞれである。
「教外別伝(きょうげべつでん)」「以心伝心」「維摩一黙(ゆいまいちもく)」などと言われているが、
要は同じ事である。

この伝達方法の根本は、「黙念」にあることを知っている者は少ない。
繰り返し、黙念の波動が伝達し、共鳴することによる同調が起こるのである。
日々の黙念の積み重ねが伝達を可能にし、功能の引き渡しが行われるのである。

先回、「伝音」の 波動伝達と申し上げたのは、元極特有の言葉であらわせば、「元音」の伝達ということであり、
一般的に判り易く表現したに過ぎない。

何度か、講座の中で私が体内より元音を生発し、「風(ふぉん)」という形でお見せしたのを覚えていらっしゃる方もおいでであろう。
この元音生発の功法は、「階み」に昇格すれば、修錬段階として勉強することが出来る。

黙念の基本は、日常会話の中にもある。それについて、張志祥先生が、その著作の中で語っておられる。

談 話も訣のエネルギーを表現する一種の方法である。現代のいわゆる「外気を放出する」功に相当する。
人が交談しているときは、思想を交談の内容に集中させ て、全身のエネルギーを動員して談話に応対する。
意気投合して話に脂がのってくると交談者は「功能態」に入るのであり、体内の「音」が高度に組み合わされ て配列し、
口から妙語、警句が連発される。
この時は特異なエネルギーが放出されていて、聴者を魅了してしまって、その喜びに従って喜び、
その悲しみに従っ て悲しむ。これはエネルギーが聴者に働きかけて、「共同の音」を出させたのである。
音を持って、音を求めるため、双方の心音が同調までに達する。これが即 ち共鳴であり、知音である。

張志祥先生は著作の中で、次のような例を挙げてみえる。

霊 鷲山(りょうじゅせん)にて、釈迦牟尼が衣鉢(いはつ)を伝える為に全体の弟子を坐前に呼び集める。
衆弟子は世尊が説法するに違いないと思っていたら、し かるに世尊は端坐して無言のままでいる。
衆人がいぶかっている中を、迦葉(かしょう)が世尊に向かって微笑する。世尊は直に手に持っていた花を迦葉に渡して、
自分は既に衣鉢(いはつ)を迦葉に伝えたと声明する(この時、正法眼蔵-しょうぼうげんぞう-を与えたと言われる)。

こ の「拈華微笑」の故事は、即ち「知音相伝」である。それは心音の情報が相互に疎通した為であって、
無声の対答の中で心で衣鉢を伝えたのである。禅宗は従来 この方法で衣鉢を伝承するのである。
談話は音に対する黙念であり、訣に対する変化(へんげ)であって、功能態の下に行われる交流である。
談話で病気を治す ことが出来るし、談話が功力を増進させることも出来る。古代の各門各派は、みな口授心伝を重視する。
その妙用は即ちこれらの原因に基づくものである。

私が、度々錬功会に出てくる人達に、錬功が終わったらサッサと帰るのではなく、
その後の談話や、食事会に出席しなさいと言うのは、こういった理由からである。

私は張志祥先生より、何度にも渡っていろいろな能力をお渡しいただいた。
題に掲げた故事は、故事だけではなく元極功法に脈々と流れる神秘的な能力・情報の伝達方法である。

私がこのことを最初に実感したのは、元極を修錬し始めて4,5年経った頃、中国・蓮花山に行ったときのことであった。

その時講座に集った日本人や中国の客人達と共に、張先生と昼食を取る機会が与えられた。
楕円形の大きなテーブルに十五・六人が着いたであろうか。
テーブルの真ん中には、大きな花が飾ってあり、心の行き届いたもてなしが感じられた。
私は幸運にも、張先生の直ぐ右横の席に案内され、着座することが出来た。

食事は、いつもの事ながら、修練者や客人から張先生への質問で終始される。
食事が佳境に入った頃、あまりというか殆ど量を召し上がらない張先生の右手が箸を置き、
人差し指の先で小さくテーブルの上に文字のようなものを書いたのを見逃さなかったのは、
場の利を得た私だけであったであろう。
他の者は、中央に綺麗に飾られた花器に阻まれて気がつかなかったのである。

「あれ、食事中に何をお書きになっているのだろう?」と訝(いぶか)った私の脳裏に次に湧いた意識は、
「あっ、今何か戴いた。」というものであった。

その時は、あまりに突然のことで、何を戴いたか見当も付かない状態で、
その後の食事は、呆然と過ごしていて、何をどのように食べていたのかも良く覚えていない。

数日後、その時戴いた力は、人に能力を渡す力であることがハッキリと判った。

ここまで読み進めてきた人の中には、まだ訣を黙念することと「拈華微笑」の故事に象徴される衣鉢の伝承などのことと、
どういった関係があるのかお判りになっていない方も多かろうと察せられます。

元極功法の特色と言える「修錬中の訣の黙念法」について、
張先生は次のように著作の中で言及されています。

訣は黙念を通じて、日常生活の中で広範な妙用を展示している。
しかし、それらの多くは自発的な性質に属するものである。
しかして元極功法の修錬方法――「功訣を黙念する」ことは、正に日常の最も普遍的な方法を概括して、
制定されたもので、元極図の「生化返」の規律に基づいて系統化したのである。

そのために、元極功の功訣を黙念する方法には普遍性・簡易性がある。
凡ての修錬方法は、みな功訣を黙念する方法の中から進化したものである。

更に、張先生は次のように続けます。

各 家各派の修錬の啓蒙段階もみな理論の学習から入門して、先ず要訣の解悟から着手するのである。元極功と違うのは、
訣を黙念する過程を錬功に入る前の段階に おいて、そして訣のエネルギーを大脳の中に貯存しておき、
錬功・内省・参禅・練丹などの実践に移るとき、本門の功法要訣に対して、自分の解悟した部分を整 理して、
自らの訣を作り出して、錬功の全過程を指導する。最後に自作の訣が完全に功法の精義に適合することが検証されたとき、
即ちこれを「得道」したと言う。
黙念をしないようであるけれども、実際には黙念が始終錬功の全過程を貫通している。ただ人々がこれを見落としたに過ぎない。

元極功は 元極功訣「三元」自身の特性と元極功エネルギーの発生発展法則に基づいて、
功訣を黙念する特殊な方法を採用したのである。始めから終わりまで功訣を黙念す ることによってエネルギーを展現し、
そして竅穴に働きかけて、逐次に竅穴を「音化」する。一旦竅穴の音が玄関(上丹田)の音(心音という)と徹底的に貫通 すれば、
訣の情報としてのエネルギーが展現されるようになり、同時に訣の内包も悟得されるようになり、
修錬の境界もこの悟得と共に絶えずに高められてい く。

元極功法「功訣の黙念」の効用がお判りになっただろうか。
諸家諸派の功法が、一人一人の得道にその成果を依存しているのに比べ、
元極功では先哲の背中に梯子をかけて更に高みに登るようなものなのである。

そしてその独特の修錬の結果として、天・人「共同語」である元音の把握が可能となるのである。張先生は続けて語る。

元極功の独特の修錬方法は、元極図(現在では、もとつきわみ図)の原理に基づいて制定されたのである。
元音は天地万物の「共同語」であって、有・無を貫通する性質を持ち、天地人を召喚して自然の秩序に従って同調して、
真空界に帰還するのである。
自然界の音(おん)はみな一々人体の各部位に相対応していて、そして人体内の音も刻々自然界の存在に対応している。
この二筋の情報流が人体内で昇降、出入りしたりして、間断なく対応している。
天・人の間に二筋の情報流が存在していて、心身の間にも同様に二筋の情報流が存在している。
人の思考している事は、心身を貫通すると同時に天地にも貫通している。
元極功が十字真言(現在では十二字真言)を黙念することによって、
訣が生化して音となって、人体内の二筋の情報流を連接して、無窮に循環する「天人の合体」を形成するのである。

この元極独自の元音の生発、共鳴、伝達の効能を身に着けることが、「拈華微笑」の伝達方法の基本なのである。

このこと(元音の生発、共鳴、伝達の功能)が完全に出来るようになるには、
元音の修錬「階み」を終了することである(中華元極の旧功法では、3部功法・人天交会法)。

人天交会法は、十段階の功法の下から三段階目。日之本元極功法「階み」は、十二段階の下から四段階目である。

「な~んだ、下の方じゃないか。」と、馬鹿にする事なかれ!

中華元極功法公開12年間、そしてそれ以後も含めて、人天交会法を完全にマスターできたのは、
2800万人の入門者の中で、僅か5人という難関なのである。
人天交会法は、1999年2月に初公開されたのであるが、私の修錬としては1996年より既にその段階の修錬は始まっていた。

元極功法を修錬し始めて3年余あまり経った頃、第2部「鴻蒙済判法」4次元・中黄庭の修錬をしていた。
ある日、中黄庭を守って静功をしていたとき、突如、中黄庭にあった三元エネルギーがものすごい勢いで膻宮へと勝手に移動したのである。

その膻宮の段・下から三段目の修錬というのは、まさしく「人天交会法」の修錬なのである。
まだ公開されていなかった「人天交会法」の功法の道理を、それまでに何回もお渡しいただいていたように、
張先生は私に渡しておいて下さったのである。

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Posted by masuda