自由ということ 1

野口悠紀雄氏が、著書の中で、次の様に述べています。

自由な論議とルール遵守の両立は、大変難しい。
 ところで、私は、インターネットに簡単に公共圏が構築出来るとは考えていない。
(別項で、同氏は、「公共圏」について、次の様に説明しています。
:ドイツの哲学者 J・ハーバーマスが提唱した概念。
これは、個人の私的な領域を超えた共通の関心事項について、言論や意見が行き交う社会的な共通空間のことだ。)
なぜなら、

「自由な市場」とか「競争社会」とは、「何をやっても自由な社会」ではないからだ。
市場経済は、強いルールの下でしか機能しない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・##1

同じことが、言論についても言える。
 私は、「ウェブ上の自由な意見の交換」に幻想的な期待を抱いているわけではない。
むしろ逆に、インターネットにルールを確立するのは極めて困難だと考えている。
とりわけ問題なのは、匿名での発言が可能であるため、無責任な批判や誹謗や罵倒が横行しやすいことだ。
だから、インターネットにそもそも公共圏を形成しうるかさえ、定かではない。
例をあげよう。
東日本大震災の直後、私は、「ダイヤモンド・オンライン」の連載で
「電力不足に対処するために電気料金に課税するべきだ」との主張を行った。
そして、それに対する意見を、私のホームページに寄せてほしいと書いた。
多数の意見をいただき、その中には、非常に有益なものがあった。
しかし、心ない反応もあった。
たとえば、「経済学者は、カネ勘定のことしか頭にないのか」との非難もあった。
「業界の事情を知らないので、笑ってしまった」というのもあった。
これは、意見や批判というより、「口汚い罵り」としか言いようのないものだ。
こうした反応に接すると、本当に「こたえる」。
そして、仕事に対する意欲を失う。
強い反論は、特定の業界の既得権を批判した場合に来る。
どの業界を批判した場合にどのような反論が来るかは、はっきりした傾向がある。
口汚い罵りを受けて、数日間仕事が手に付かなくなることさえある。
「艱難汝を玉にす」「人間は鍛えられて強くなる」というが、実際には難しいものだ。
私は、「批判を受けたくない」と言っているのではない。
しかし、論争には一定のルールが必要だ。
ルール違反は出版物にもあるが、完全ではないとはいえ、編集者のチェックがかかる。
それに対して、ウェブでは、最低限のチェックすらないのだ。
「市場経済は、相互信頼がないと成立しない」と述べた。
では、信頼の基礎は何であろうか?
もちろん、人間の本性が善を求めるものであることだが、それだけではない。

他からの信頼や社会的評価を落とせば、大きな損失を被るという状況が必要である。
逆に言えば、「失うべき何物も持たない」人々は、信頼を裏切る可能性がある。
なぜなら、それによって利益を得る反面で、失うものは何もないからである。
相互信頼とは、「失うべき多くのものを持つ人々の集まり」でこそ形成されるのだ。
・・・・・・・・##2

問題は、インターネット空間が、そうした条件を満たすコミュニティなのかどうかである。

この中で、注意していただきたいのは、##1と##2の部分です。
次回から、一つずつお話しします。

真実

Posted by masuda