私事

ありがとう御座いました。

私事

昨夜、寝ていたら、突然
「『左官』という職業は、何故『左の官』と書くのだろう?」と、思った。
朝起きて直ぐ、語源由来辞典などネットで調べてみた。

語源由来辞典
左官 意味 左官とは、壁を塗る職人。壁塗り。壁大工。泥工(でいこう) 。しゃかん。

左官の語源・由来
左官は、平安時代に宮殿の建築や宮中を修理する職人を「木工寮の属(さかん) 」と言い、

壁塗り職人を木工属に任命して出入りを許可していたことから、
さかん」と呼ぶようになった。属(さかん)は、律令制で各官庁の階級を
「かみ」 「すけ」 「じょう」 「さかん」と構成した四等官の1つである。

漢字の「さかん」は当て字で、古くは「沙官」 「沙翫」と表記されていた。
「左官」を「しゃかん」と発音するのは「さかん」の訛りであるが、
「沙」の字があてられていた事から、単なる訛りではないとも考えられる。

他から引用左官と右官の由来と意味

右官という職業は過去には存在していたようですが、
複数の説があり、どれが正しいのかは分かりません。
有力な説を2つと左官の由来を2つ紹介しておきます。

大工説

家を建てるの現場には、棟梁と左官と右官がいました。
棟梁は全体の統括(総合責任者)して、左官は土関連の仕事を担当。
そして右官は木関連の仕事を担当していました。
つまり、右官は大工さんのことです。
しかし、棟梁が大工を兼ねるようになり、右官という呼び方は廃れて行きました。

事務員説

左官には「工」という字が使われています。
「工」は、「仕事」「職人」「巧みな技」などの意味があり、
左官は土木工事職人のことです。

右官には「口」という字が含まれています。
「口」が付くので、右官は事務職のことです。

左官の由来1

皇居には官位の無いものは入ることが出来ないので、
皇居を改装する際に土壁職人に「官」という位を与えました。
だから、皇居に出入りする土壁職人を左官と呼ぶようになりました。

左官の由来2

645年、許勢眞壁連(こぜまかべむらじ)の孫・許勢波多哀(こぜはたお)が、
天皇の住まいの外郭(がいかく)に美しくて丈夫な土壁を作ったことで、
天皇から左官の称号を賜りました。
だから、土壁職人を左官と呼ぶようになりました。

左官と右官の地位

日本では、右と左とでは、左の方が地位が高く(上位)なります。
左大臣と右大臣なら左大臣の方が位が高いのです。
つまり、左官と右官とでは左官の方が位が高いということです。

おそらく、右官が左官よりも下にされるのを嫌がり、
右官という呼び方をしなくなっていったという説があります。


という事でした。
しかし、何故寝ているときにこんな事考えて居るんだろう。
おかしいな ?


キャノンS90 

私事

私は、スポーツ全般に好きなのですが、一番好きなのはモータースポーツです。

若い頃、草ラリーなどを少し囓っていたことがあるからですが、

下の映像は、4度にわたってWRC(世界ラリー選手権)世界チャンピョンになった、
トミ・マキネンの映像です。

6分54秒辺りからのペダルワークをご覧下さい。

雪道を、百数十キロのスピードで走る、左足ブレーキングと、アクセルワ-クが見事ですね。

サムネイル画像をクリック

私事


後日、「きよみ」の無形の施設に行きました。
そこで神よりお話がありました。

増田に話します。
働き者の、あなたの母親もとうとう、この世をさって神となりました。

最終的な肉体の苦しみは、可哀想でしたが、
肉体を失って、神となった後では笑いぐさのようなことで、彼女も
「本当に困らせましたね。」
と 笑っています。
心配はいりません。

縁あり、役割を果たした者は、皆同じような経過をとって、死にゆく運命にあります。

いたしかたないと思いなさい。
修練をすることによって、この世の垢を落とす者も居ます。

貴方の母親は、カルマを落とすために少々苦しみました。
致し方のないことです。

この、「きよみ」の地の敷地内に、四つの鳥居がありますから、
そこのひとつに彼女がやすらかに眠ります。
とは言っても、ここは隠居のようなところです。

美しい施設のようなところです。

お互いが行き来しあって、生きているような家もあります。
ここで、しばらく、生きて楽しく笑っています。

我々が、母親を預かります。
張志祥は、先日、貴方が張家界(中国湖南省)に来たときに、
一緒に連れ立って、ここに来ました。

ここで張先生が出ておいでになりました。

私は今、こうして、ここに依拠しております。
私の住まいは、張家界にありますが、ココにも依拠して、ご厄介になっております。

以後、ここには機会ある毎に寄り、張先生、母親とお話しさせていただいております。 (完)

私事


続けて神に聞きます。
それはお寺の中の墓地でも、良いのですか??

それは、寺でも良いのですが、
広い土地にぽつんと墓が座っているのも、また良きものです。

そこに 訪れることは、人以外はありませんし、
その場所と我々がつながることもありませんが、
訪れてくると、懐かしく思い出すこともありますから、どちらでも構いません。

したいように、すればよい。
というのが、本音のところですが、
し建てるのであれば、さわやかな空気の宮町にしてほしいと思います。

その後、兄弟とも話しましたが、有形の墓に実際母が居らず、どこでも良いのなら、
妹達が行きやすい場所という事で、名古屋の寺に決めました。

私は、無形の墓がすぐ近くにあるのだから、妹達の都合を優先しました。

私事


通夜、葬式と儀式を終え、さて墓をどうしようという事になりました。
両親は、離婚していますし、
増田家(母方の姓)の墓は、母の上に長男が居ましたから、入るわけにはいきません。
新たに建てるしかないのです。

またまた、神に聞いてみました。

神の存在として、住居が与えられて「きよみ」の施設に、
彼女は場所を移して生活をしていきます。

美しい建物のなかで、穏やかな明るい生き方をして生活をします。

さて、心配をしている有形の墓ですが、どこにどうしても、それはかまわぬことですが、
あなた方が先ほど調べていたように、あなた方が親の墓を準備しなければいけないのであれば、
私が提案するところがあります。

それは、宮町のなかに、ひっそりとした墓を作ってくれればよいのです。

きよみには、隠宅(無形の住居)があります。

有形の代物は、どこでも小さくても構いません。
いずれは流されてしまいます。

しかし、あなた方がどうしても作らなければならないのであれば、
有形の墓は宮町に作ってください。

私事


私が引き取って、「きよみ」の施設に入れて、面倒を見なければならないのであれば、
なるべく早くにと、1/30,31と一生懸命、施設を探しました。

ところが、高山市清見町には、そういった施設が全然見あたらないのです。

「どうしたことだろう。」と、途方に暮れていた2月1日の朝、
母の訃報が届きました。

引き取って面倒を見るはずだった母が、何故・・・・。
その時、神より声がおりてきました。

カルマを全て祓って、清らかになりましたから、彼女は神上がります。

貴方の母の墓は、経って行先はすでに定まっています。
決まっている場所は「きよみ」の住居です。

「きよみ」の住居におちついて、彼女はそこで生活をします。

清らかな水の流れと、山の美しい「きよみ」の場所にしばらくは生活をします。
そして、いよいよの時が、きたら、先頭を切るようにして、神あがっていくことになります。

「きよみ」の施設とは、介護施設ではなく、
無形の意識が一時的に依拠する無形の場所だったのです。

私事

神が続けて言います。

これからは、回復していきます。

貴方が面倒をみやすいように、施設を用意しています。
施設の名前は、「きよみ」にある施設です。

「きよみ」にある「ゆかいなしせつ」です。
そこで、彼女は満面の笑みを見せます。

彼女が行くところは、神岡の社です。
神岡の社には、まもなく行くことになりますが、
彼女はいったんは症状がおさまって、穏やかになります。

そして、貴方が、引き取って世話をします。

「せめぎわ」とは、神様の名前ですか?と、聞いてみました。

せめて、きわどいところまで、せめて、せめて、せめる神。
眷属(けんぞく)、鬼という、神の存在です。

この仕事を達成するために「せめぎわ」が働きます。
大切な役割を果たすための、前段階の神です。

私事

何とか痒みを取ってやろうと思い、何故改善がないのか、神に伺いました。

貴方が早く、落ち着けるように 回復に向かわせますから、
彼女を引き取って、十分な世話をしてあげなさい。

彼女はいつかは帰らぬ人となりますから、
それまでに貴方が彼女を引き取って、面倒をみてあげなさい。

何故、彼女の体調がすぐれないのかというと、彼女が生きてきた、
数々の悪の責任が彼女には残っていました。
その悪を吐き出して、身を清めるために、症状が出ています。

彼女はカルマを背負っていたのです。

しかし、もうこれくらいで良いと、「せめぎわ」が来ました。
「せめぎわ」が悟って、帰ってしまったので、「せめぎわ」が悟って、
終了したので、痒くてたまらない症状は、これで「しまい」です。

神が故意に痒くしていたのでは、いくら日之本元極功法といえど、改善は難しいはずです。

私事

今年の1月30日、愛知県の施設に入っている90歳の母に会いに行きました。

久しぶりに兄弟三人が皆そろい、施設に行きました所、
インフルエンザが流行っていて外部からの面会は禁止。

やむを得ず、施設長さんに近況をお聞きしている間に、
「折角遠くからおいでになったのですから、特別に面会を許可しましょう。」
という事になった。

他の方々には申し訳ないが、往復7時間もかけて、空振りではせつないので、
お言葉に甘える事にしました。

ふた月ほど前から、全身に湿疹が出来、非常に痒がっていましたが、
それ以外は元気な様子でした。

施設でも、医師に何度も見せていろいろ薬を変えて塗って下さっているようでしたが、
なかなか良くならないとの事でした。

私も、前々月からその状態は知っていましたから、遠隔で治るように処置はしていましたが、
改善がないので、不思議に思いました。