刻(とき)と所1日3個

明石海峡の見えるホテルにて、神からお話を聞いています。
すでに、この地に来てくださったことで、
「ふたつにわける」事が始まりました。
二つに分かれることで 「ふたつのとき」が来たことを 伝えておきます

明石海峡と 明石大橋の見えるホテルにいます。

明石海峡に面する、この良いローケーションで話が出来ますことは、
とても好都合なことです。

これから我々が話をします
われわれは、この地に集まっております。
あなたが来てくださったと同時に、この地に集まって、

来ることを命じられてこの地に降り立った神です。

この地が、地球を 分け隔てる大きなポイントとなる地

であることを伝えておきます。
「二つに分ける」というのは、天地を分ける、
海を分ける、陸を分ける、
という意味があります。
これが、「ふたつに分ける」意味です。

つまり、この地が活動の原点のスイッチを入れる場所なのです。
この地が分かれて、ふたつになるという意味もありますが、

ここがそのスイッチの土地であるということが、
大きな意味を持っています。

地球が激変して動いていくスイッチが、

この明石海峡に隠されていて、
ココが動きはじめると、世界が動き始めることになります。

この動きの様子を増田に伝えます。
増田は目を閉じて、明石海峡と明石大橋を見て

その動きを体感してください。

増田::断層が分かれ、橋が落ちて両側に

津波が起きて行く様子が見えます。
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これが現実に起きる出来事の数々です。
世界中が、ふたつに分かれていきます。

刻(とき)と所



24節季が背骨に対応しているということと、

その時間に背骨が光るということの関連を、神に聞いてみました。

24節季の時に背骨が光るということは、最もなことですが、

それを増田に、わざわざ知らせたのには訳がありました。

勿論わざわざ知らせなくても分かっていることですから、

もう知らせる事はしません。

光るということは、背骨と関連性があることを知らせるためにしたことです。

もう、その必要性はありません。

どれくらいの数の人に、光ることを見せているのですか?

エネルギーがピークになる、その時間に、あまり意識を集中させすぎずに、

意識を空白にすることが出来れば、その瞬間が判る敏感な者が居ると思います。

我々が知らせている者だけでは無くて、光るその瞬間を受け取れる者も居ると思います。

しかし、その瞬間が毎回少しずれているので、

その時間を正確に計ろうとすればするほど、間違いが起きます。

修練に集中する姿勢があって、時を意識しすぎないのであれば、

敏感な者たちには判る者もいます。

光るかどうかだけではなく、その対応する背骨に熱感があるとか、

柔らかい感じがするとか、暖かいとか、熱くなるとか、その程度の者もいると思います。

どれだけの者に知らせているかといえば、掌門人に知らせたいのです。

それが正解なのです。

今後は、エネルギーレベルがより高くなるので、悟って知り得る者たちも出てくることでしょう。

あなたの理論が正しいという証明のために、

何人か知らせていく者たちも、今後は出てきます。

過去に掌門人の張志祥だけが、感じて知っていたのでは無く、

代々の掌門人は24個の背骨と24節気の関連性を分かっていたのです。

それは、時計の無い時代に、修練を一日中したときに分かる結果です。

多くの掌門人が口伝えて伝承してきた事柄です。

修練者の中には、現在日之本から伝えられている時間が少しずれていると感じている者もいます。

前半にずれる場合もあれば、ちょうどその時を示しているときもありますし、

また後半にずれているときもあります。

ずれているが、近い値という点で、この示された時間を使っていけば良いのです。

刻(とき)と所


人の脊椎24個の骨(頸椎7個+胸椎12個+腰椎5個)は、

24節気に対応していると言われています。

一番下の腰椎5番から上に順に、冬至、小寒、大寒、立春・・・・
のように対応するというのです。

私が元極を始めて直ぐの頃、「24節気には、対応する骨が光って見える。」聞き、

なるべく24節気の日には、欠かさず静功を一生懸命したのですが、

ずっと光ることはありませんでした。

元極を始めて3年半位たった時、忘れもしません「霜降」の日に、

その時刻を挟んで2時間の静功をしました。

修練音楽テープ(その頃は、カセットテープしか有りませんでした)は、

一回約30分ですから、二回目が始まって直ぐに首の下辺り、

体内で一瞬、ピカッと強烈に眩(まばゆ)いばかりの煌めきが有ったのです。

それまでは、24節気の日であれば、

対応する骨がずっと光っているのだとばかり思っていましたから、

自分にとっては驚くべき出来事でした。

冷静に24節気の日の、場のエネルギーを感じてみれば、

その一瞬だけが明らかに大きく違うのが、もっと早くに判っただろうに、

思い込みというのは恐ろしいものです。

「光る」と教えてくれた人などの殆どが、自分では体験していなかったのだろうと、

今になって想像がつきます。

皆さんも、そうした経験が出来るように、24節気の「その時間」を外さないよう、

年に24回きりのチャンスを、逃さないように修練を計画して下さい。

刻(とき)と所

(1)24節気 (つづき)

24節気の時には、発表されているその時刻の12時間位前から、

じわじわとエネルギーレベルが上がってきます。

そして、その時刻の瞬間、バーンと一時(いっとき)

エネルギーは何倍にも跳ね上がります。

それはほんの一瞬のことです。

それからまた、12時間位掛けてじりじりと

エネルギーレベルは通常に戻っていきます。

つまり、その一瞬を逃してしまえば、

最大のチャンスを受け取り損なうのです。

(正しい理論的根拠は「階み理論編」教科書を御覧下さい。)

24節気にする錬功のことを、「節気功」といいますが、

この時刻を逃しての錬功は、「節気功」とは全く言いがたいものなのです。

ましてや、24節気の日近くなら、少しはエネルギーが高いだろうと、

前日や一日後に錬功をしたのでは、

全くいつもの錬功と変わりないことになってしまいます。

是非とも、この格段に効果の高い、

24節気の「時」を逃さないように、修練願います。

なお、この24節気の時間は、理科年表などで発表されているものは、

後付け理論による近似値で有り、

本当の意味での24節気ではありません。

体感的には、中国北京白雲観(道教の総本山)発表の

24節気時間の方が正確なので、

日之本元極ではこの時間を取っています。

(つづく)

刻(とき)と所

「階ひと」入門講座教科書の中で、錬功効果の高い日について説明してあります。

でも、受講時に良く理解出来ないままお帰りになって、

その後も教科書を読んでいない方が意外にも(?)多いので、

ここでまた、お話してみることにしました。

(1)24節気
------点線内「階ひと」教科書から転載--------

一般的に、科学的根拠として説明されている理由付けとして、

地球から見て太陽の通る黄道を24等分したのが24節気です。

通常は、その日1日の概念で捉えていらっしゃる方が多いですが、

厳密に言うと何時何分何秒というように黄道上の24等分された

その位置を通過する時間まで問題になります。

しかし、この説明は後付の近似値から割り出された理屈付けです。

本来の原理は非常に高度で複雑です。

この正しい理論的根拠は「階み理論編」にて勉強することになりますが、

どうしても知りたい方は、教科書のみを購入して、独習してください。

それまでは一般的な考えに従っていても大きな間違いではないでしょう。

---(中略)---

この24節気の時の前後は修練に絶好のときで、

通常の何倍ものエネルギーが取り入れられます。

積極的にこの日、この時に修練をするよう心がけてください。

修練方法は、24節気の時間を中心に前後になるべく均等に時間を割りふり、

できれば静功を行います。

24節気の時間が15:30であれば、30分修練するときは15:15~15:45までとします。

---(中略)---

24節気は「修練の効果の高い日」ということのみならず、

天地運行の節目として我々にも重要な意味を持ちます。

それらの日に修練することだけでなく、その意味を考え、

宇宙天地の原理やその不可思議さに思索を巡らせ、

感謝することも必要なことだと考えます。

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この中で、注意しなければいけないのは、

「24節気の時の前後は修練に絶好のとき」という件(くだり)です。

ここでの「時」と言っているのは、一瞬のことを言っています。

ここを理解できている者は、中国で私が元極を習っている時からしても、

わずかしか居ませんでした。

何故、日之本元極でわざわざ24節気の時間、

例えば「寒露 19:20」のように、時間までお知らせしているのかよく考えて下さい。

本当は、24節気とは一瞬のことを言うのです。

(つづく)

刻(とき)と所

シグマDP2Merrill(メリル)  

刻(とき)と所

シグマDP2Merrill(メリル)

刻(とき)と所

花香る「かおり」、臭いの話しをします。
かおりが、臭うはなしを します。

はな かおるきせつが、きました。
時が過ぎ、きせつが過ぎ、そしてまた、ふりだしに戻り、花香る時がきました。

言い間違ってしまいました。

「はな かおれる」です。「はな かおる」では、ありません。
宇宙の進展を 邪魔するものは、「はな か おれる」時がきます。

既に、2007年暮れ、「はな か おれた」者がいました。

超能力・潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with キャノンS90,シグマDP1,サイキック写真-日之本元極 気功 自然
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。photo by CANON S90

刻(とき)と所

2009年十月某日午後2時30分―「かのととりのとき」が過ぎ、応神天皇より話がありました。

今日は、良き日を迎えて、また、一段と事が進みました。このことによって、さらに大きな成果が生み出されると確信しています。それらは、確信だけではなく結果として、この顕界に成果がもたらされることを伝えます。

先ほど今後私が日之本元極に張り付いて導くと伝えましたが、その通りです。
強制的に話すことはありませんが、導きを聞きながら、前に進んでください。

辛酉の時を迎え、この扉が開かれて、より強力に神界からの力が、及ぼされます。
かのととりのとき を迎えました。

何故、この辛酉の刻が重要なのか?
かのう  と   とり
叶う=始まり   最後
だからです。

歴史は未来より作られます。
顕界から見れば、
とり と かのう
になります。

次元上昇の、この世=顕界の最後が来て、
新しい世界の始まりが叶います。

このときの「かのととりのとき」というのは、顕界での暦ではなく、神界の暦に則っています。

ひふみ神示に言われる「かのととり」も同様です。


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刻(とき)と所

この年(2009)十月半ば、応神天皇よりお話しがありました。

かのととりの 時が来ました。今日の午後、 かのととりの時が来ますから、告げておきます。この時を迎えると一つの山を越します。この「かのととり」の 時が来たことを告げる合図が、午後2時30分 頃にけたたましい音をたてて、割れるような響きを持って聞こえてきます。

顕界と神界の境目が割れるように開くときです。増田にこの時が来たことを伝えます。

このことが起きると、さらに、あなた方への導きが強力となり、事柄が動いていくことになります。今までの話はあやふやで、いつも結果が伴わなかったにも関わらず、今後は 結果が見えてくることになります。

顕界と神界との境目が割れて、地響きするような音がすることになります。
本日、2時30分。その事柄が起きてきます。

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