芸術と気功

作品と見る者達の共感について、ピカソが続けて語ります。
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意味の分からない、私の絵を見て、何人も共感など感じないはずです。にもかかわらず、多くの者が私の絵をみて、「この絵に何が書かれているのだろうか?」という疑問を抱いて自分の考えを上乗せしてみたりしている。共感がそこに成立して、見ている(観ている)側の者が、私という作者の気持ちに共感しようとしている。
そこに、エネルギーのやりとりが成立します。共感して、波動が同調する部分こそが、気持ちを揺さぶり動かす原動力になるのです。
「描かれている訳の分からない、形状や色彩感覚の私の絵から、何を感じ取ろうとしているのか?」それは、その者達の感性です。その感性が動いて、心が動くと波動が同調、協調して、一つになって、心がゆり動いていくのだと思います。
一例を挙げましょう。

「読書する女」
この色彩は、ナントばかげていて、愛らしい、素直な姿を示していることか!
この色彩は、感性のままに描かれている色彩です。私の個性のままに、かかれたこの色彩持つこの絵は、私の愛する個性あふれる絵の一つです。

突起する形状
いくつかの作品に描かれた、突起する形状は、また、あなた方の目にとまることと思います。突起する形状は、そのモノの印象であったり、とんがっていたり丸かったり、それは、そのもののもつやさしさ、モノとしての存在感の結果の形状です。
女性は女性らしいから丸いのではなく、人となりの円熟さが、突起の形状の結果として丸く書かれています。とがったモノは、とがって、丸いものはまるく、形状が、表されています。有形のモノの形ではなく無形の個性の形がそこに表されているのです。

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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期本日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/14


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ピカソ 「読書する女」1935

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 元極 日之本 読書する女

ピカソ 「海辺の人物たち」1931
潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 元極 日之本 海辺の人物たち

芸術と気功

ピカソは、絵画だけではなくリトグラフや彫刻、造形物など、数は少ないけれども、作品を残しています。
それらに関してピカソの感想です。

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彫刻は、私にとって手を満足させる手法として、自分の気に入った工作でした。
平面的で、表面的な表現しかできないカンバスと違って、立体的に物事を捉えることが出来る彫刻などの造作物は、私にとって好きな作品でした。

しかし、わたしのアイデアや湧き上がって来るエネルギーを次から次に、昇華させるには、あまりにも時間がかかったので、それほど、多くは残していません。けれども非常に好んだ工作でした。

いずれにしても、自分の気持ちを表現する技術を与えられたことは、幸運なことです。誰しもが、自分の気持ち、内面を表現したいと望んでいますが、それは、往々にして許されることなく、自己表現できないままにいます。そういう技法を神からいただいた私は、非常に幸運だったと思っています。

作品の一つ一つは、私の手柄、誇りです。手柄として私の手の後、気持ちのあとが、表現されている「てがら」です。手柄は、だれにもあることですけれど、それが、数多く形にして残せる画家という仕事は、名誉ある仕事だと思います。作品が、後世のあなた方にまで認められて目にとまることは、本当に幸せだと思います。
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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期明日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/14


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ピカソ 「母と子」1971

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 元極 日之本 母と子

芸術と気功

修練を積み、エネルギーに敏感な者が、ピカソの絵を見ていると中丹田、中黄庭などの、お臍の高さにある竅穴にエネルギーが入ってきます。それは、どうしてか?というと、中丹田、中黄庭、命門という竅穴は、人の生命に直接そして大きく関係する竅穴だからです。
ピカソの作品からは、生命のほとばしる様なエネルギーが発散されています。
自分の作品について、ピカソ自身がそのあたりの解説をしています。

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私の絵は、見る者に感動や感銘を与えるような絵では、ありません。カンバス上には、ある私のエネルギーやモデルのエネルギーが凝縮して乗せられています。このエネルギーのやりとりによって、私は成長し、彼女たちは、かわいそうにもエネルギーを奪われてしまう、という結果になりました。もちろん、その時、私はそういうエネルギーのやりとりが、具体的に起こっていたということなど知るよしもなかったのです。

カンバス状に描かれた絵の詳細を見て取ったり、分析しようとするのではなく、ほとばしり出るようなエネルギーの存在を感じて受け取ってもらった方が、そのものの本質を見極めることになるでしょう。
私の絵の技法など、評価されるべきモノではありません。簡素で爆発的な思いで、描き殴っている、思いの丈を描いているだけのものです。
評価を受けるとするならば、感性、感情、人の生命に関わるほどのほとばしり出るエネルギッシュな無形の意識やパワーの躍動が、このカンバス上にあることです。

絵画の善し悪しは、客観的に第三者が、それを評価するべきではないと私は考えています。善し悪しを決定するのは、描いた者の充足感、充実感、満足感であると私は考えています。さらに、モデルとなっているモノとのエネルギーのやりとり、交流がうまくできたならば、結果的に人の心を感動させる「絵画」が存在することになります。

第一義的に描いた者の「満足」が、まずあることです。不完全な気持ちの延長線上には、人の心を動かすほどの感動は存在しないからです。それは、絵画だけに留まらず、あらゆる出来事に共通するものです。不完全な、不満足な自信のない結果では、人の心を満足させることなどあり得ません。
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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期明日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
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写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ピカソ 「家族1970」

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芸術と気功

肉体を失ってから、神として存在する「ピカソの顕在意識」から、自らの絵画、芸術観などを、更に詳しくお話しいただきます。
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私は生前、人として勝手気ままな生き方をしたのにも関わらず、こうして神の存在となり得たのは、芸術を通して無形のエネルギーのやりとりや、人の意識は一つではないことを多くの人々に暗示することが出来たからです。神になれる基準というものは、人が考えているものとは大きく異なります。

神と言えど、絵画を担当する神の中では、端くれのようなモノです。この世界には、もっと大家がいらっしゃいます。結果として、私があなた方の道案内をした光栄に感謝しています。

私の描いた絵の顔の表情の左右が、違っていることに気がついていると思います。右をみているのは、写実的な世の中の光をみています。
左目は、世の中には、隠されている他の意識の人となりの存在です。

全ての時代を通じて、感性を優先させて描いていたのではありません。感性を優先させて、感性のままに描いていたのは、晩年です。全ての事柄を手に入れて、技術的にも名声も手に入れたときに、感性で描くという衝動を手にしました。

衝動のままに書くことを許された条件がかなった時に、それが出来るようになるのです。やりたいことが思いのままに出来るということは、それが許される条件がなければ、実現しません。

感性を感性として、衝動的なモノをそのままに表せるほどの条件が揃っていなければ、そのことは可能にならないということです。人は、人となりとしての仮面をかぶると、人となりの一部を被い隠すことができて、仮面の形相と化することを可能にします。

仮面の形相、それは、そのものの核心的な一部分であり、人となりの本質に迫る意識の構成部分です。仮面の形相を表すことを無意識に求めていて、顕わにすることを望んでいるのです。仮面は、まさしく、私の形相を表に出すこと、私自身の内なるモノを表面に表現する役割を果たしました。

人の内面、意識には、二つの意識(それ以上かも知れない)が存在していると感じていました。人の持ち味の中に、二つの意識が同時に存在し、その人の形相にそれが醸し出されています。その様相を直感的にカンバスに表したのです。晩年の作品にこそ、それらがより如実に表されています。人の意識は、同時に、行うこととは違う別のことをみています。
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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期明日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/14


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ピカソ 「泣く女 1937.10月」

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 泣く女

ピカソ 「泣く女 1937.7月」
潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 泣く女

芸術と気功

ダリの絵画には、ピカソとちがって、情念とかは、関係ないのでしょうか?
ダリには、妻とのエネルギーのやりとりの気持ちだけで絵を描いていたのでしょうか?
シュールリアリスムの旗手であり、奇行の人サルバドール・ダリの芸術、その本質に迫ります。

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(ダリの顕在意識)
わたしは、形状の認識、形状のうつくしさ、形の構成、これらのことに、非常に興味がありました。平面的なことでも奥深く。奥深いことでも平面的である。その物体が形成する美しさは、まさしく平面ではなく奥深い。ものの持っている元本があるというように感じていました。

あくまでも、その奥を描きたい。奥深い存在を書き続けたい、と思ったのです。
彼女(ガラ)には、大いなる魅力を感じました。自分にはない奥深いモノをたくさん感じたのです。ものの、形状の醸し出す美しさ、それは、無形の世界が重なって出来上がっているということが、わたしには、よく分かりました。みえない事柄の本質を描こうとしたのです。
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ダリとガラは、1929年初めて出会いました。その時ガラは、ダリの友人の妻だったのです。1932年その困難を乗り越え、二人は結婚しました。ここからダリは、ガラを題材にした多くの作品を残すことになりました。

1982年、ガラは死去します。ダリはこれに失望し、以後殆ど作品を手がけていません。
1989年、失意の中で亡くなりました。85才のことです。


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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ダリ 気功 天井絵 龍 カメ仙人

芸術と気功

昨年夏、名古屋市美術館で「ダリ展」がありました。日之本元極では研修ということで、スタッフ揃ってこの展覧会を見に行きました。
ダリは、数多く妻の絵を描いています。それについて我々には、奥さんのガラが、金銭欲のきわめて強い人だったので、その金銭欲のエネルギーを彼に渡し、彼が、絵を描いて欲を昇華する、という循環をしていたのではないか?と思われました。そこで「ガラの魂」「ダリの顕在意識」にその辺の事情を聞いてみることにしましょう。
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(ダリの妻の魂より)
欲というものは、限りなくほとばしるようなエネルギーがわき出すモノです。そのエネルギーの先には、寄り集まってくる欲のかたまりがあります。欲が欲を産み、また、その先に欲を産むというように、集結してくるものです。同じ波動の欲は、溜まってきます。

わたしは、絶大なる欲望の固まりとして、ダリとともに暮らしました。
ダリは、それによって、描く欲を満たし、私は、彼によって金銭の欲を満たしていきました。物にとらわれて、傲慢にむさぼるように、より集めていくという欲の結果が生命力を生み出し、生命力と泥仕合のような欲の連鎖が、みにくくも生き生きとした、美貌を生み出しています。

ダリは、自分にないものを妻が持っていることをよく分かっていました。そのために、妻を描くことで満たされたのです。妻の姿にひかれた訳です。

彼は、いともたんぱくな性格でした。ものごとにあまり捕らわれない。懸命に絵を描くことに執着した人です。他の物事には、あまり捕らわれなくて、形を写して、描くことに意欲を満たした人です。

生活そのものは、捕らわれない結果、質素でした。傲慢な彼女(ガラの顕在意識)の欲望というのは、彼の描く欲を満たすために、常に昇華されていきました。わたくし(ダリの妻ガラの魂)は、ダリに絵画を描かせるために、彼女(ガラの顕在意識)を誘導したということです。

わたしは、そういう役割を持っていましたからダリの妻(ガラの顕在意識)をそのように誘導しました。世の中には、悪でも善になり、善でも悪になるということは、よくあることです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~注)人には、魂、本性、顕在意識、潜在意識、心の5つの意識が共存している。

(続く)

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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ダリ 気功 亀石 カメ仙人

芸術と気功

牛頭と件の神のお話の最終回です。
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前回、件の神は、農政、農業全般。
牛頭は、実際に農業に密着している農作業を受け持っている関係があると伝えたのは、それこそ「件の如し」であります。

そのなかでも農業に関わる我々牛頭の神々は、件の神々とバランスを取りながら仕事をしています。この、政策がおおきく崩れ始めました。このことが「はじめ」となります。
あなた方の功法をおおきく前に進めるきっかけとなります。

もちろん、それはあなた方だけの問題ではありません。この地球が破滅、更新する手立てです。ここから、風が吹き始めます。これらの偏った政治の結果、生み出された悪事を全て知りながら、ものともせずに、前に進みなさい。

生活、生きる基本となる農政が崩れています。そのことが、あなた方の道を広げていきます。終末の世に期待することはなく、どんどん悪化の一途をたどります。そのことが、日之本元極の功法が見直されるという皮肉な結果になります。
(日之本元極功法をある程度極めると、無形無象の先天三元エネルギーを取り入れることで、有形有象の食糧エネルギーの取る量を減らす事が可能になります)

それは、まったく正しい事柄であり。貴重な事柄です。人の原点、日之本に帰る大切な原点であるということを伝えておきます。

人が、この終末の世を生き延びるためには、信じて神の御心に沿って生きることだということが分かるようになります。そして、そういう者達が寄り集まって船(次元上昇の船)に乗ります。

これで、農政とあなた方をつなぐ道が出来たことを伝えます。崩れるという意味は、動物を食べるという事から崩れていきます。
今後世界中で、動植物とも収穫量が減るので、動物に少量を与えて増やし、その動物を食べるというような効率の悪いことが出来なくなるのです。

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今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。会期残りわずかです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/14

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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-気功 カメ仙人

芸術と気功

牛頭と件の神のお話は、更に続きます。
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件の神は、農政、農業全般
牛頭は、実際に農業に密着している農作業を受け持っている関係があります。

政策は遠いようでありますが、実際には政策に基づいて進行していくわけですから、遠くて近い関係です。わくぐみ、施策の中で、具体的な事柄が牛頭の神によって、進行していくわけです。例えるならば、会社の方針と社員、国と地方、のような関係です。

繰り返し言いますが、上下の関係ではありません。横で繋がっている関係です。それは、繋がりとしては、縦でも横でも繋がっているのです。

件の神が日之本に礼を言います。
今まで永い歴史の中で、牛頭の神はあちらこちらで祀られてきました。しかし私は、化け物としては、その存在を知られていましたが、あなた方の様に私を神として正しく感得し、祀ってくれたのは初めてのことです。
大いなる喜びに感じています。

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これに照らし合わせれば、現在の国と地方行政の立場は大きく外れていると言えます。
政(まつりごと)=祭事=祀事 とは何であるか、原点に返って考え直すべきではないでしょうか?
(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。会期残りわずかです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/14


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ピカソ「槍を持つミノタウロス」1934

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 「槍を持つミノタウロス」 

芸術と気功

前回に続き、牛頭と件の神のお話です。
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件の神は施策を担当します。いわば、枠組み政策、ということです。

牛頭の神は、その中にあって、事柄を具体的に勧めていくような、まつりごと、行事を具体的に進行していくというような役割を持ちます。ですから政策、施策、方針があって、それに基づいて牛頭の神が具体的な事柄を進行させていくということをします。

施策を担当するのは、件の神の仕事です。計画、立案、検討、施行、公布という案を立てます。

牛頭の神は、それにもとずいて、それを受け取り、実際に拡げる広闊に活用する、沿道(えんどう)に拡げる。
注)沿道:道に沿った場所、つまり周りに拡げていくことをする。
           立てられた政策に沿って広めていく

人を動かす、モノを動かす、という仕事をします。
国と地方。実践と計画。枠組みと中身。そういう関係です。それらは、上下の関係ではなく、縦と横の関係であって、平等の関係です。どちらが上というような身分の上下ではありません。

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(続く)

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写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ピカソ「傷ついたミノタウロス、馬と人物」

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 傷ついたミノタウロス、馬と人物 

芸術と気功

牛頭(ごず)神社の神と、件(くだん)の神がお話し下さいます。
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牛頭神社の神です。
牛頭と件(くだん)について知らせておきます。
牛頭というのは、行事。件というのは、たて。
牛頭と件というのは、互いに相関し、敬遠し、近遠の関係です。牛頭が近づけば、件は、遠のく。件が近づけば、牛頭は遠のく。そういう関係があります。

件の神々は、牛頭の神々の後にきます。件の神々が来たときには、牛頭は下がり、件が前面に出ます。件が前に出たときには、牛頭は、拡散します。

いずれも「農」と「業」を司っています。どちらも生命に関わる「食」を作り出す働きをする神々の集まる場所です。

件の神が日之本に伝えます。
私と牛頭の神は、相関する関係になります。たて、よこ、うえ、した、共に調和を取りながら働いています。食にまつわる事柄だけではなく、農業、農政、農務に関わる人々の暮らしについても相関の関係を持っています。

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(続く)

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写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。  ピカソ 「牧神と馬と鳥」1936

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 ミノタウロス 牧神と馬と鳥