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神からの声が聞こえる 「ひ」の子さんのブログです。

神からの声は一方的に降りてくると

思っていらっしゃる方が ほとんどだと思います。

実はそんなことはなくて

私も婆たぬきも通常の人同士の会話のように

神と対話をしています。

自分が神から示された道をきちんと歩いているかどうか

確かめる為に、いろいろ神に質問をします。

よく神から言われることに

「貴方は答えが分かっているのに、よく質問をしますね。」

ということがあります。

間違っていないかどうか確認する為にそうするわけです。

皆さんも聞き取る練習をしっかりして、

神との会話を楽しんでみませんか。

神仏について1日3個

どうして、伊雑宮(いざわのみや;天照大御神の夫神と言われています)の
名前が消えてしまったのですか?

伊雑宮です。

どうして私の名前が出てこないかと問われれば、
それは私の伝説がないからです。
私は人に伝えることもしませんでしたし、
人に伝わることも望みませんでした。
私は自分の名前が出ていないことを心苦しくはありません。
人に祀らせることを、重要だと思った神々は、
特に土地を祀る神々は、人に存在を知らせて祀らせましたが、
私は人に無視されました。
まさしく私の存在を人に無視させたということになります。

外宮の豊受大神より
私が、代表される外宮の神とされていますが、

あなたがたがおいでになりましてからは、
この外宮では、
元極功法の掌門人達を第一番に祀らせていただいております。
伊雑宮も天照大神も此処においでになります。
私は、政(まつりごと)の仕事をしております。
それは主に食物などをお供えするなどの仕事をしているのですが、
そもそも食べ物についての仕事をしているわけではなく、
上位の神々をお祭りしていたので、
私の存在が前に出たのだと思います。
私は食べ物を食卓にあげる仕事をしていますが、
それは神々の政に関しての仕事だと考えてください。
それほど大きな力を私が持っているわけではありません。
私の名前だけが一人歩きしたのです。 

伊雑宮(神の名前)よりマスダに話をします。
長い間、私がこの顕界のすべてを任されて見守ってきましたが、

その役割をあなた方、日之本元極に交代するときが来ました。
元極功法が、この顕界の全てにおいて、
一途な気持ちで治めると受け止めてくださることを、
誠に感謝しています。
この世の中のすべては、やがて失われて、
我々が統治したこの地球は形を変えて次の世に移り変わります。
あなたがたが、この地球の最後のお仕事をしてくださいますことは、
誠に喜ばしいことです。
地球上に肉体を持って顕界の中に住まいするということが、
どれほど不自由なことであるかについて、
我々はよく承知しています。
致し方なくこの立場にあって、
お仕事を進めてくださいますようにお願いします。

私は天照大神です。
表面に出る小遣いのような仕事・雑事を私が担当し、
すべての業務を見渡しているように仕事を処理してきました。
そうしたことで、私の名前が世の中にしれておりますが、

すべての実権は伊雑宮にありました。
世の中に無視された存在ではなく、
表に出ることを選ばなかったのが、伊雑宮なのです。

お時間のある方は是非とも、
三重県志摩市磯部町上の郷374

にご鎮座まします
「伊雑宮(神社の名前);天照大御神の御魂を祀るとされている」にも
お出かけくださいますよう、ご紹介をしておきます。

神仏について1日3個

明けまして おめでとう ございます。
お正月には、初詣にいらっしゃる皆さんも多かろうと思います。
ひょっとして、お伊勢さんに行かれる方もいらっしゃるかもしれません。
お伊勢さんのお参りでよく言われることは、
「外宮に先にお参りし、その後内宮に行くこと。」ということがあります。
どうしてでしょうか。
一般的には、外宮に先に行く理由は、食物を扱う豊受大神が、
外宮にいるからといわれていますが、
本当は外宮の方が位が高いので、外宮に先に行って、
その後に内宮にいくというのが、本当の理由ではないのか?
と私は直感的に思ったので、神様に伺ってみました。

マスダの言うとおりです。外宮の方が、くらいが高いのです。

「位」が高い神々に敬意を表して
外宮に先にお参りするように、われわれは伝えていたのです。
その後、下の位の神々にお参りすればよいとしてきたのですが、
広さや社の多さを理由にして、
内宮の方が上位であるかのように、
残念ながら言い伝えられてきました。
天照大神の、ほんのわずかな伝説を面白おかしく書き上げて
神の伝記としたことが評判になったことで、
現在のような位となりました。
しかし、これらの人の勘違いを、
われわれは大きなこととは考えていません。
これはこれで構わないのです。
あなた方は本質を知っているのですから、
その意識を持って外宮からおいでください。
そのように理解してきてくれる貴方方ほど
大切なお客様はおられません。
人のすることは間違いであっても、
我々は敢えて問題にすることなく、
そのまま間違いのまま受け流しております。
批判することはありません。
外宮

内宮

神仏について

私が言いたい事は、このようにして

神が人と交わり最初から神として産まれた神が天つ神、

純然たる人が良い生き方をして肉体を失った時、

上の次元に上って(3次元から4次元以上に)神になった神を

国つ神と言うのだということです。

一般に定着している「天つ神、国つ神」の概念は、
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大国主など、天孫降臨以前から

この国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、

天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。

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というものですが、これは大きな間違いで、

今まで直接神々からお聞きした話を総合すると、

前述したようになると思われます。

この私の仮説が正しいか、神を呼び出して聞いてみました。

天つ神と国つ神について、この考え方で、間違っていませんか?

教えてください。
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はっきりと、それが正しいと伝えておきます。
それでよろしいのですから、まったく直すところはありません。
天之御中主之命(この神様が出ていらっしゃる事は、非常に稀なことです)です。
私のことをあなたは女性だと感じているようですが

(お話をお聞きしながら、そのように思っていました)

母であり、父であり、大地であり、

天に通じる次元の高い神の座におります。
此の世の最初に存在した神として、

知られているところですが、

私は国つ神も天つ神も関係の無いような高い位置におります。
天地の神です。
もちろん、どちらかに分けて表現をするならば、

天つ神になります。
一神で、二神の役割を任されております。

それほど、次元の高い位置に存在しております。
神々が誕生した秘密、秘話、それら全ての情報を増田にお渡しします。
神の誕生、人の誕生、それらのことについて、

肉体を持って存在しているあなたに、

それらのことが判らないのは無理からぬことですから、

それらの秘密を全てあなたにお渡ししておきましょう。
人にとっての秘密の話ですから、

積極的に、それらを明らかにする必要はありません。

あなたが、今回書いた程度で宜しいでしょう。
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ということなので、この辺でお開きにいたしましょう。

神仏について

神が人と結ばれることで、

天つ神を生み出す話は、他にもいろいろあります。

比較的有名なのが、奈良の三輪山に残るいくつかの伝説です。
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世界大百科事典 第2版の解説
みわやまでんせつ【三輪山伝説】
《古事記》《日本書紀》崇神天皇の条にみえる伝説。

《古事記》によると,陶津耳(すえつみみ)命の娘活玉依毘売(いくたまよりびめ)には

夜な夜な通う男があってついに身ごもる。

父母が怪しんで男の正体をつきとめるために,

糸巻きに巻いた糸を針に通して男の衣の裾に刺すように娘に教えた。

翌朝見ると糸は戸のかぎ穴から抜け出ており,

糸巻きには3巻きだけ残っていた。

そこで糸をたよりに訪ねて行くと美和(みわ)山の神の社にたどりついた。
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(樋口 清之『逆・日本史』4 より)
「五十鈴媛」の伝説
神武天皇の皇后・五十鈴媛(いすずひめ)は、

三輪山の大物主神の子どもであると『古事記』は伝えている。

そして、この神の子・五十鈴媛が生まれる時のエピソードは、たいへん興味深い。
五十鈴暖の母は、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)といったが、

この姫があまりに美しかったため、

三輪山(奈良県桜井市)の神・大物主神は心を奪われた。

そこで、その姫のところへ招婿婚の伝統に従って、

俗な表現をすれば、夜這いをかけることにしたのだが、

その方法が実に変わっていた。

すなわち、丹塗矢(赤く塗った矢)に変身して、

姫の家へ行き、姫が厠に入っている時に下から飛び出して、

姫の陰を突いたというのである。
驚いた姫が、その矢を拾って家に持ち帰り床の上に置いたところ、

たちまち矢は美男子に変身し、

この二人は結婚することになるのだが、

そのとき生まれたのが五十鈴媛だった。

そこで、『古事記』はご丁寧にも五十鈴媛の元の名を

〝富登多多良伊須須岐比売命〟

(「陰を突かれ、驚いて生まれた姫」の意)

と記しているのである。
丹塗矢に神が変身するという話は、

『山城国風土記』にもあり、この話と併せて考えると、

このエピソードの真の意味が分かってくる。
玉依日賣(たまよりひめ)という女性が、

京都の賀茂川で川遊びをしていた時に、

丹塗矢が上流から流れてきた。

この矢を拾って帰り、枕元に差して寝たところ、

玉依日賣は妊娠し、男子を生んだという。
どうやら、この話の丹塗矢も神の化身で、

玉依日賣は神の子を生んだことになる。

そして、この二つの話を総合して考えてみると、

丹塗矢伝説の元の形はもっと単純で、

丹塗矢が陰部にささっただけで子どもが

生まれてしまうというものではなかっただろうか。

つまり、神は矢の形に変身して、

人間と交わると考えられていたのである。
だから、五十鈴媛の話だと、

媛の母が矢を拾って云々という話は付け足しであり、

また玉依日賣の場合も、元の話では、

賀茂川で矢を拾ったのではなく、

矢が刺さったことになっており、

それが後に改変されたのである。
神話の中には、陰に先端の尖った物が刺さるという話が多い。

ほかに例を挙げれば、素箋鳴尊が高天原で乱暴を働いたとき、

機織女が驚いた拍子に梭(機織りに使う道具)が

陰に刺さって死んだという話がある。
この話も、本来は神と人間の結婚伝説だったものが、

いつしか死の物語に変化し、さらには、

素箋鳴の話の一部に採り入れられたのではないかと想像される。

この機織女のエピソードの元の姿が

果たしていかなるものであったかは分からない。

だが、古代には、このような神と人間の結婚の物語は

無数にあったことだけは、間違いない。
古代の人々は、性器を生命を生みだす神聖なものと考えていた。

「陰部」(ほと)という女性性器の呼び方も、

それを示している。もともと「ほ」は火、日を意味することばで、

「と」とは場所の意味だから、

「ほと」とは神聖な霊の宿るところという意味である。

だから、しいて漢字を充てるならば、

「秀所」、「穂所」ということになるだろう。
また、伊邪那美命は自分の性器を「め」(芽)と呼んでいる。

これも、植物の芽になぞらえて、

新しい生命が誕生する場所という意味を持たせたものである。
つまり、裸になり、性器を露出させるという行為も、

体の神聖な場所に秘められた力によって邪気を追い払う、

といった意味合いが強く、古代人にとっては、

少しも卑猥なことではなかったのである。

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これらを踏まえて、私が言いたい事は、

このようにして神が人と交わり最初から神として産まれた神が天つ神、

純然たる人が良い生き方をして肉体を失った時、

上の次元に上って(3次元から4次元以上に)神になった神を

国つ神と言うのだということです。

神仏について

古事記、日本書紀等から類推すると、

相手は純然たる人であっても神の誕生は可能なようです。

私も何回か行ったことがある、

「黄泉比良坂(よもつひらさか)」に有る「千引(ちびき)の岩戸」を

紹介する島根県のホームページでは次のようにあります。
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 ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、

その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、
 うつくしき吾が那勢命 (なせのみこと)、時廻り来る時あれば、

この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、

ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。
 ここに妹(いも)伊邪那美の命、

 汝(みまし)の国の人草、日に千人(ちひと)死(まけ)と申し給ひき。
 伊邪那岐命 宣 り給はく、
 吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。
  参照: 「伊邪那岐(伊弉諾)と伊邪那美(伊弉冊)の神生み」より
大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、

天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。
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伊邪那美命が「日に千人を殺す」、

伊邪那岐命が「日に千五百人を産む」と言っているのです。

つまり肉体を持った神が一神で、

相手は純然たる人であっても、上の次元で神は誕生するようです。

神仏について

そこで、応神天皇の神をお呼びして、

「正妻はどなたなのか、本当にこんなに沢山のお后がいらっしゃったのか?」

伺ってみました。
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喜び勇んで出ては来れませぬ。
宇佐神宮に祀られている宗像三神は、私の妻ではありません。
私には多くの妻が存在しておりましたが、

しかし私が寵愛したのは唯一正妻となった一人だけです。
子を創らねばならないという役割があって、

その反映ということで、多くの妻がおりました。
今のようなくらしぶりではなく、その時には、

それが当たり前のような時代だったのです。
私は、運命を受け入れて、子孫の繁栄に努めました。
あなたがたの常識ではそれらを受け入れられないかも知れません。
私の妻というのは、本当に一人だけのことでしたが、

私の妻もそれを承知して受け入れておりました。
私の子供達が大勢いたことで、神の世は反映し、

神が国を治めるということが、私の代でうまく拡がって行きました。
日本国中に八幡神社があるということは、

子孫が多くいたためでもあります。
増田があげた姫君だけではなく、

もっと多くの姫君が私の側には居ました。
そこには、判る範囲代表的な者たちだけが書かれています。
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以前にもブログか何かで書いたことがありますが、

応神天皇というのは、神が肉体を持って生まれた最後の天皇でした。

16代仁徳天皇以後は、人です。

この宇宙は、我々の居る3次元物質世界を根底として

4次元以上無限次元まで無形無象の世界が重なって連なっています。

物質世界で起こったことが次々に上の次元に連鎖していく仕組みです。

ですから、上の次元で子供をつくるとき、

(我々から見ると、上の次元の存在は神です)

物質世界で子供をつくる作業がされなければなりません。

つまり、セックスです。

もちろん上の次元で神を産むときは、

物質世界に肉体を持った神が存在しなければなりません。

そうした役割を、応神天皇は担っていたわけです。

神仏について


年末に九州の宇佐神宮に呼ばれて行ってきました。

いくつもの行く理由が有ったのですが、

その中の1つが、功法「清昇濁降」の効力を上げる力をいただくということでした。

目的地に着いて、神社にある御由緒書きで御祭神を見てみると、


八幡大神(応神天皇)

比売大神(多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命)

神功皇后


と、ありました。

この中で応神天皇と神功皇后は、ハッキリしていますが、

比売大神というのは、いろいろな神社でよく出てくる名前です。

調べてみると、
「神社の祭神を示すときに、主祭神と並んで

比売神(比売大神)、比咩神、姫大神などと書かれる。

これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、

あるいは関係の深い女神を指すものである。
最も有名な比売神は八幡社の比売大神である。

宇佐神宮ほかではこれは宗像三神のことであるとしているが、

八幡社の比売大神の正体については卑弥呼をはじめとして諸説ある。」

と、ありました。

この宇佐神宮の宗像三神が応神天皇の后の神だというのは、

私の感覚として、そして時代考証的にも

「絶対に違うな。」と思いました。

ウィキペディアには、応神天皇の后は、以下のようにありました。
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皇后:仲姫命(なかつひめのみこと、中日売命) – 品陀真若王(五百城入彦皇子王子)女
荒田皇女(あらたのひめみこ、木之荒田郎女)
大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命・仁徳天皇)
根鳥皇子(ねとりのみこ) – 大田君祖
妃:高城入姫命(たかきのいりびめ、高木之入日売命) – 品陀真若王女、仲姫命同母姉
額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)
大山守皇子(おおやまもりのみこ) – 土形君・榛原君祖
去来真稚皇子(いざのまわかのみこ、伊奢之真若命) – 深河別祖
大原皇女(おおはらのひめみこ) – 『先代旧事本紀』は弟姫命の所生とする。
澇来田皇女(こむくたのひめみこ、高目郎女)

妃:弟姫命(おとひめ、弟日売命) – 品陀真若王女、仲姫命同母妹
阿倍皇女(あへのひめみこ)
淡路御原皇女(あわじのみはらのひめみこ、阿具知能三腹郎女) – 根鳥皇子妃
紀之菟野皇女(きのうののひめみこ、木之菟野郎女)
滋原皇女(しげはらのひめみこ) – 記紀に見えず、『先代旧事本紀』より補う。
三野郎女(みののいらつめ)
妃:宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売) – 和弭日触使主女
菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ、宇遅能和紀郎子) – 応神天皇皇太子
矢田皇女(やたのひめみこ、八田皇女・八田若郎女) – 仁徳天皇皇后
雌鳥皇女(めとりのひめみこ、女鳥王) – 隼総別皇子妃
妃:小甂媛(おなべひめ) – 和弭日触使主女、宮主宅媛妹
菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつひめのひめみこ、宇遅能若郎女) – 仁徳天皇妃
妃:息長真若中比売(おきながまわかなかつひめ、弟媛) – 河派仲彦王(息長田別王子、日本武尊孫)女
稚野毛二派皇子(わかぬけのふたまたのみこ、若沼毛二俣王) – 息長君等祖、継体天皇高祖父、忍坂大中姫・衣通姫父
妃:糸媛(いとひめ、糸井比売) – 桜井田部連島垂根女、男鉏妹
隼総別皇子(はやぶさわけのみこ、速総別命)
妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)
大葉枝皇子(おおはえのみこ、大羽江王)
小葉枝皇子(おはえのみこ、小羽江王)

幡日之若郎女(はたびのわかいらつめ) – 履中天皇皇后
妃:迦具漏比売(かぐろひめ) – 須売伊呂大中日子(稚武彦王王子、日本武尊孫)王女
川原田郎女(かわらたのいらつめ)
玉郎女(たまのいらつめ)
(忍坂大中比売) – 以下の2皇女は稚野毛二派皇子の女であろう。
(登富志郎女) 
迦多遅王(かたじのみこ、堅石王)
妃:葛城野伊呂売(かつらぎののいろめ、怒能伊呂比売?) – 武内宿禰女?
(伊奢能麻和迦王) – 去来真稚皇子の重複か。
妃:兄媛(えひめ) – 吉備武彦命(稚武彦命子)女、吉備御友別妹
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なんとまあ、沢山いらっしゃること!!

神仏について


世が下るに従って、人々の不純な思いが祝詞に入り込み、

願い事などを奏上するようになったのではないでしょうか。

そうした背景から考えれば、

祝詞をのりあげる時は、自らがこうなりたいとか、

このようにして欲しいとかというような思いで 宣るのではなく、

純粋に感謝の念だけを届けようとする

行為と思いだけが必要だということです。


大ばばたぬきがすごいのは、祝詞を宣るときに、

何も求めず只ひたすら宣り続けているからです。

なかなかできないことですが、

みなさんも今後はそんな思いで、

祝詞をあげるようにしてください。

そうすれば、自ずからその周りが良い気に溢れるようになるのです。

神仏について


あくまでも私の意見ですが、

皇命(すめらみこと)とは、その昔の時代に、

神々全てをまとめていらっしゃる幹部集団に属する神のことを、

その様に呼んでいて、初代天皇「天の岩戸天皇」、

二代目「天の香具山天皇」、実際は3代目ですが、

現代的には初代とされている「神武天皇」など、

幹部集団中の神が肉体を持ってこの世を治められた為、

皇命(すめらみこと)と言われていたわけです。

実際には現代的に15代天皇「応神天皇」までが、

神であられた訳ですが、人々は明治時代になる頃まで、

人である天皇を皇命(すめらみこと)とお呼びしていたようです。

回り道をしてしまいましたが、

祝詞の原型は寿詞(よごと)であって、

神々が皇命(すめらみこと)に対して、

ご守護への御礼と忠誠を誓う言葉だったのだと思います。

その後、人々が神に対して、ご守護への御礼を申し上げる言葉を、

祝詞と言うようになったのではないかというのが私の考えです。