生き方

今、お話しされたのは「子貢(しこう)」さんですか、
「顔回(がんかい)」さんですか?
それとも、「曽子」さんですか?

この物語を作り上げたのは、

一人ではないと言うことを認識してください。
孔子の話したこと、残したこと、
昔から伝わってきた言葉を格調高く
まとめたものが論語です。
それは、私も「顔回」も同様、同じ友です。
偉大な内容の物語です。
縁を作って我々をまとめ上げたのは、
孔子の子孫たちと表現できます。
ですから、論語は孔子の話した言葉であると、
子孫たちが言っても、それはそれでよしとします。

「老子の神と、孟子、そしてもう一人、

名前の思いつかない神の三神がたっておられます。」
と、ババタヌキが言います。

これはこれは、ようこそおいでくださいました。

わざわざ遠くの國から、こうして来ていただきましたこと、
大変ありがたく お礼申し上げます。
さて、気はただの気にあらず、
宇宙の縁ある者たちには、
配られる予定の気のエネルギーを、
あなたがかけがえのない功法として誕生させてくださいました。
われわれは、人の生き方を諭してきましたが、
人の生き方に気のエネルギーも
極めて重要であることも悟っておりました。
どれほどに上手な生き方をしたとしましても、
その生き方が理に叶っていなければ、
気が入ってこず、理に叶っておれば、
その者は生かされて元気になることを悟っておりました。
天命を全うして生きてきた者が、
どのように生きようとも、心底正しい道を歩くことができれば、
神の意図により気のエネルギーが与えられて、
目的のある人生を送れることを悟っておりました。
にもかかわらず、
「死んで花実が咲く」者が居ることも事実です。
「死んで花実が咲く」者は、
役割として早期に死が訪れます。
どうのような生き方をしようとも、
それが美しい生き方、正しい生き方であっても、
天からいただいた天命でなければ、
うまくいかないものであるとも思っておりました。
あなたは、あなたに与えられた天命を粛々と歩き、
面々と事を紡ぎ、
しかるべき時を今か今かと待ち望んでこられました。
とうとう そのときが来たのです。
我々も、そのときが来ましたことを
大変うれしく思っております。
我々も、あなた方の天命をお手伝いする立場におります。
祝福する立場におりますことを、お伝えします。
心許ない応援隊ですが、念には念を入れて、
遠慮なさらず、ご自分の命の限り
お働きくださいますように申し上げます。
天より授かって、我々が手にした数々のものを、
あなたにお渡しします。
受け取ってください。
私がお話ししたからには、
孟子、老子、荘子からも、お渡しします。

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生き方


昨年秋(2016年)、中国曲阜に訪れました。
ここは孔子の故郷として世界文化遺産にもなっています。
孔子廟、孔林、孔府の三箇所を見て回りました。
孔子廟を見学している時、孔子の神をと、
呼んでみましたら、孔子ではなく、
別の神が話しかけてきました。

論語を書き上げたのは私でございます。

私が書き上げたものです。
私は神上がっておりますが、孔子は伝説の人です。
孔子が伝えたこととして、
古来の言い伝えを纏めて書物にしたのが
論語になりました。
これが有名になったのであって、
孔子は神の存在とはいえません。
永い期間待ちわびて、
あなたがたが、ここに来られて漸く、
今後の世の中に残れる人となりましたが、
神上がった訳ではありません。
よき言い伝えを残してくれた人、
そして私が書物に書き上げるための仮想の人として
重要な人物でした。
彼の存在は、神として崇められていますが、
次の世界(次元上昇後の世界)に生き残る
人なのです。

先程、孔子が言葉をかけてくださいました。

神ではないのですか?

孔子がよほどうれしかったのでしょう、
あなた方を迎えて喜んでおりましたので、
一言ご挨拶することを許可しました。
彼の存在は、次の世界の人として存在します。
論語の中に書かれていることは、
私や私の弟子が聞き伝えとして書いておりますが、
これは孔子ではなく、世相を反映して創り上げたものです。
昔からの論調にまとめ上げていますが、
孔子の死後に、
後の者たちが書き加えた事柄が殆どです。

この広大な孔子廟も、物語として立派なのであって、

絵巻物のように作り上げられた作品です。
偉大な作り話の中身を、あなた方は見て帰ってください。
私は、あなたがたに伝えたい言葉が、
ひとつあります。
それは「諭す言葉」。
論語の中の諭す言葉を伝えるように指令されています。

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生き方

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ほんの少し登場するお母さんは、

非常に多趣味な方で、スピリチュアルなことにも

大いに興味を持っていらっしゃいました。

しかし多趣味が災いして、なかなか修練ができませんでした。

時々お見えになって、貫頂・帯功を受けられましたが、

その度ごとに私は無形の肉体を見て、

「このままだと、脳梗塞になる危険性が非常に高いので、

しっかり修練をしてください。」

と、再三再四ご忠告申し上げていました。

「分かっているんです。」

その度ごとに、同じ答えが返ってきました。

そしてある時、ご家族から

「脳梗塞で入院しました。」

という連絡が入りました。

そして結果、半身不随となったのです。

ご家族が、無形のものに対する理解がないため、

通っていただいている時も、

ご自分で運転していらっしゃっていました。

もう運転ができないため、それからご縁がなくなってしまいました。

ほとんどの場合、無形の肉体の症状は

有形の肉体に先行して症状が現れます。

我々が皆さんの状態を観る時、主に無形の肉体を観察します。

ですから、我々が

「ここが悪いです。」

と言うときには、皆さんには症状が出ていないことが、

多いと思ってください。

そして忠告通りに行動しないとき、

有形の肉体に症状が出てしまってからでは、

場合によって復帰不可能なことがありえます。

あるいは改善に多大な努力が必要になってしまう事も多いのです。

まだ有形の肉体に症状が現れる前に、

手を打っておけば、何事もなく済んでしまうことでしょう。

さらに深刻な事は、言われたことを実行しないがために、

肉体を失った時に

顕在意識が次の世に残らないことになってしまうことです。

症状も何も出ない、どうなるかもわからない、

何の変化もない。

死んでみて初めて分かる恐怖です。

「分かっているんです。」ではダメなんです。

たびたび申し上げていることですが、

思う事と、言うことと、行動が一致すること。

この3つは、かけ算です。

何も行動しない、 0をかけたら、結果は0です。

思い当たる方は、すぐに行動しなさい。

先日、ご忠告申し上げた

畜生にかまけている方々

もう有余はありませんよ。

神々の堪忍袋も、もう緒が切れる頃です。

私も今後は何も言いません。

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生き方

昨年の九月に人格統合調和法について、

当ブログで少しご紹介しました。


2015/9/15
2015/9/16
2015/9/17
2015/9/18

人格統合調和法は、何も宣伝したりお勧めしたりすることなく、

初公開の2012年3月より今までに至っています。

しかし、施術した人からの口伝えで

すでに受講者は100人に迫ろうとしています。

昨年のブログの中にも書いてありますが、

この功法は、受講者の顕在意識の生きたいように

変化していくというものです。

ですから、我々が望んでいる方向に行かないこともあります。

人それぞれ、このように生きたいという考え方の違いがあるわけですから、

少々あくどいことをしても、お金を儲けて楽に暮らしたいという人もあれば、

貧乏でも人のために役に立つような生き方をしたいと考える人もいます。

苦しい努力を厭(いと)わない人もいれば、

誰かにいつも癒されていたいと思っている人もいます。

私も含め、現在肉体を持って生きている意識、

とりわけ、これは自分だと思い込んでいる顕在意識が、

次の世に生き残る確率は、

わずか約0,00025%ほどだと言われているわけですから、

その可能性がある顕在意識だとしても、

残った時間、必死に生きないことには

生き残ることは難しいと言えるでしょう。

その可能性を実現する最大の道筋=日之本元極功法に、

ようやくたどり着いたあなた方が、

そこで安心しては結果は同じことになるでしょう。

今日のブログのテーマは、衝撃的な言葉の使い方がしてありますが、

これは神様特有の言い回しで、

我々に危機の切迫していることを伝えようとしているものだと思います。

どういうわけか、人格統合調和法を受講をした前後から、

ペットを飼い出す人たちが多く見られます。

私も動物が好きで、

中学生だった頃、親にねだって犬を飼ってもらった事があります。

大学を卒業するまで、

自分の部屋に上げたりして可愛がっていたものです。

しかし、この終末の時の絡繰り(からくり)を知るに至っては、

そんなことをしていては自分のみならず、

人類を次の世に残す事は全くはかない夢となってしまいます。

なぜ人格統合調和法を受講すると、

ペットを飼いだす人が多くなるのか。

その理由が思い当たったので、

正しいかどうか神に聞いていました。


人格統合調和法を受講した者の中に、

動物を飼い始める者ものが多く居ます。

その原因は、犬猫を飼うことで、

魂からの導きを聞かないようにして、

気持ちを紛らわせているのですか?


神からのお答えです。

まさしく、そういう面があります。

自分が助かるためへの状況が厳しいことがわかってきたので、

その厳しさを紛らわせたい、

自分を癒してあげたい、かわいがってあげたい。

そういう気持ちに起因しています。
家畜を飼うことで、修練時間が減ってはいないといいつつ、

修練時間を増やすことができない者たちです。
助かる助からないのボーダーラインに居る、その者達は、

大幅に修練時間を増やさない限り、助かる術は無いのです。
畜生と戯れている時間は、1秒たりとも無いのです。

最近ペットを飼い始めた人に申しあげます。

すぐさま他人に譲ったりして、

ペットの世話をしていた時間、

可愛がって一緒に過ごしていた時間を、修練に当ててください。

自分を甘やかす事は、自分を破滅させることです。

インド ファティープルシークリーにて

生き方

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迷ってちっとも決断でいない人に腹が立つ

ということが書いてありました。

彼女は自分がもっと寛容になれば良いと結論づけていました。

実は私、かめ爺も、結論をなかなか出せない人に腹が立ちます。

20代の頃、勤めていた会社の社長が

高校・大学と留学経験のある人で、「decision making(意思決定)」について、

非常に厳しく指導いただいたからです。

それだけではなく、元極功法をやり始めてからは、

さらにその傾向が強まったように思います。

つらつら考えてみますに、

迷うという行為は精神的に膨大なエネルギーを浪費します。

しかれども、迷う行為で何かが生み出される

という事は決してありません。

どちらにしようか、どの道に進むのか決定する事は、

何か新しいその決定につながる情報が入ってこない限り、

迷っているだけでは何の進展もありえません。

よって、新しい情報が入らない限り、

迷う事はエネルギーの浪費というマイナス点しかないのです。

なぜ元極功法をやり始めてから、

逡巡することに反発が強まったかと言えば、

声聞法、さとりの法シリーズ、識眼功、心眼功、

人天交会・慧眼功等の功法によって、

正しい道の選択能力が大幅にアップしているからに他なりません。

自分の魂から正しい情報を正確に受け取り、

その通りに決断し行動すれば、

過つ事を選択しなくなります。

それなのに、くだらないことであっちにしようかこっちにしようかと、

時間と自らのエネルギーを浪費することに、

腹が立つのです。

日常的な物事の選択の時から、

なるべく短い時間で意思決定できるように訓練すべきです。

勿論その時ご自分が持っている情報を隈無く精査しての話です。

迷ったあげく出した答えは間違っていることが多いものです。

いざという時に、選択ミスしないよう、

普段からのトレーニングが肝要です。

たけのこさん、

あなたの感情は間違っていません。

そういう方々を優しく導いてあげればよいのです。

それでも、その習性を修正しない人は、仕方のない人です。

繰り返し申し上げておきます。

迷うという行為は、病気などで失うエネルギーよりも

はるかに大きなエネルギーを損失します。

結局その行為は、病気への早道です。

即刻、おやめなさい。

生き方

昨日の報道では、川島さんは既に、

一昨年7月に余命一年と宣告されていたそうです。

そうであれば、尚更のこと

抗がん剤などの苦しいだけで命を縮める医療を受けなかったのは、

そこから二年二ヶ月を生きることが出来、

更に生きがいである仕事も進めることが出来た。

ということを見ても、正解だったのではないでしょうか。

川島さんのように生きがいを持って生活をする。

この事について、生きがいが、どんな結果を生むのか、

実例を持ってお話ししたいと思います。


日之本元極とご縁のあった、

ある女性のご主人のお話です。

そのご夫婦には、 2人のお子さんがあって、

ご主人に癌が見つかったのは、下の子がまだ僅か8つの時でした。

その時ご主人は、

「わしはまだ死ぬわけにはいかん。

下の子が、せめて高校を卒業する十八になる頃まで働くんだ。」

と、おっしゃったそうです。

その後、ご主人の癌は次々と転移し、

合計五回もの手術をお受けになったそうです。

入院中も、病院内の自分のベッドに電話を引いて

(当時まだ、携帯電話は普及していませんでした)

必死で働いたそうです。

そして娘さんが18歳の誕生日、

「もう、大丈夫だよな。」

という言葉を残して、お亡くなりになりました。

十年以上の長い壮絶な闘病生活でした。


いかに自分が果たさなければならない事を果たすか、

目的に向かって邁進する力がどんなものか、

その時教えていただきました。

生き方


昨日のたけのこさんのブログにも

癌の手術をなさった北斗さんの話題がありましたが、

川島なおみさんがお亡くなりになりました。

9月7日に会見をなさって、激ヤセしていたにもかかわらず、

舞台をお続けになる意欲をお示しになっていました。

昨年の1月にガンの手術をお受けなって、

その後抗癌剤も放射線治療も受けず、

お仕事を続けていらっしゃったそうです。

それを聞いて私は、ばばたぬきに次のように言いました。

「抗がん剤や放射線治療を受けなかったので、

手術後1年9ヶ月も命が持ったんだろうね。

それともう一つ、仕事に対して生きがいを感じ、

続けてきたのが、あんなギリギリまでに痩せるほどの状態でも、

やって来れた大きな治療とも言える方法だったんだろうね。」


それから10日後、舞台を続けることができず降板が発表されました。

そして、生きがいがなくなった途端、

数日でお亡くなりになったわけです。

抗がん剤等は、ある程度がん細胞も叩くのでしょうが、

通常細胞にも大きなダメージを与えて、

死期を早める結果になるようです。

生きがいが、最後の時までQOLを高め、

その時まで生き生きと「生」を保つことに貢献しているように思います。

今まで、日之本元極功法がお付き合いしてきた癌を患った方々を見ると、

きちんと修練を続けていさえすれば、

最後の最後まで高いQOLを保つことが出来ます。

そして結果、「生」を長く保つことが

可能になっているように思います。

生き方

 

これらの声に耳を傾けて、いう事を聞き、

 

人々の為に尽くすことを誓えることが、

 

あなたの人生を後世まで光って残させる唯一の方法です。
そして、魂のいう事を聞いて行動していれば、

 

叶うことが出てきます。
辛抱してやれば、ご褒美を与えられるという事です。
一人一人に集められた情報を、

 

つまり一人一人の中の情報を受け取る器官に持越し、

 

そこで、あなた方は己の力を発揮し、

 

その情報を活かして生きていくのです。
魂から天地の声が届けば、

 

その情報が、あなた方の体の中に宿され、

 

その情報を元に行動を開始し、

 

計画通りに生きていくことが出来るのです。

 

我々が、もう既に真っ只中にいる終末の時ですから、

 

人々の役に立つ為の情報は、これからどんどん降ろされてきます。

 

それを受けとりし者は、そのように活動しなければなりません。

 

それは、人として与えられた義務です。
集められた情報を己の中でどう活かすかは、

 

それぞれの者に任せられているからこそ、

 

己の欲望を断ち、その声に従順に生きなければならないのです。

 

心身共に健康に生ききるためには、

 

声を聞きその通りに生きる事が必要です。
その通り動くことができる者は、人の世に生き残り、

 

役に立つ者としての役割が与えらていきます。
一つ一つの事をかたづけて、

 

次から次へと新たな役割について行くことが必要なのです。
その為に、一つ一つの物事をかたづける能力を日之本元極の修練方法によって、

 

高めさせているのですから、

 

修練を継続して自信を持って前に進むことが約束された者は、

 

一つ一つの事柄にあたり、次々に役割をこなしていくことが必要なのです。

辛抱してやることが覚悟を決めるということです。

 

生き方

 

日之本元極には、自らの魂の声を聞く為の講座が

 

段階に応じて幾つか設定されています。

さとりの法シリーズ 1~4

「階ひと」高級講座 声聞法(しょうもんほう)

「階ひと」観訣ブラッシュアップ講座 識眼功

「階ふた」観訣ブラッシュアップ講座 心眼功

「階み」観訣ブラッシュアップ講座 人天交会・慧眼功

等です。

人には、あなたが今、自分だと思い込んでいる顕在意識のみでなく、

 

その裏に隠れた四つの意識が存在します。

 

魂、本性、潜在意識、心がそれに当たります。

あなたが物質である肉体を持って存在するのは、

 

それぞれ一人一人が別々に与えられている役割を肉体が存在するうちに気付き、

 

実行し、完成させることを期待されているからです。

ところが、その自分の裏の意識の存在をしっかりと把握し、

 

自らの役割を知らされている魂からの声を聞こうとする者はほとんど居ません。

聞こうとしないのですから、己の役割を完遂することなど程遠く、

 

無駄に一生を終える者ばかりです。

日之本元極の前掲功法は、

 

自分の魂の声を聞くことができるように修練するもので、

 

聞いた後本人が行動するかしないかは、本人の決めることです。

聞こえることは、その者の存続において非常に需要な事ではありますが、

 

欲の上に成り立った現代社会通念にとっては、

 

あまりにも突飛なことが多いので、

 

その段階でも実行できずに脱落する者は多いのです。

損得という尺度ではなく、

 

善悪という物差しでなくてはならないのです。

 

 

生き方


日之本元極功法に巡り会えたということ、

その事は正に千載一遇の機会だと、神は言います。

勿論、それは私を含めての話です。

その希有(けう)なチャンスを逃すこと無く、その時点から離れることをせず、

一生、有形の身体を失うまでやり続けることが更に重要なのです。

随分前のことになりますが、あまり金銭的に恵まれないけれども、

非常に熱心に通ってくる方がいらっしゃいました。

それこそ、食べることに必要なお金も惜しんで講座を受講されていたので、

「危ないなあ。」と当初から思っていました。

その方はパソコンなどを買うことが出来ず、

日之本からの情報を受けることが充分に出来ていませんでした。

それを聞いて、また余りに熱心にやって下さっているのを見て、

私にも人情というものが残っていたのでしょう、

もう使わなくなったノートパソコンが余っていたので、

その方にあげようと思ったのです。

そのパソコンと、説明書、充電器などを用意し、纏めていた時のことです。

「無駄になるから止めなさい。」と、神から言われました。

「えっ、まさか?」

と思いましたが、お渡しするのを暫く控えることにしました。

すると、それから半月ほどした頃から一切の連絡が取れなくなり、

錬功会などにもいらっしゃらなくなりました。

たぶん、あまりの過熱ぶりから、「ご家族の禁止令」が出たのだと思います。

残念なことですが、どうすることも出来ません。

元極の教え「去る者は追わず。」を守るのみです。

もっと永く続ける上手いやり方があったでしょうに・・・・。

残念です。

ご家族の禁止令を受け入れることで、顕在意識の存続が危うくなってしまいました。

しかし、神は先々まで、よく御覧になっているもんですねぇ!!

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