元極功法


2009年の8月から、七回に分けて書きました拈華微笑の記事を、

まだお読みになっていない方も多いようなので、加筆し再掲します。

元極功法の功能伝授の方法は、「伝音」である。

伝授者が被伝授者に対して無音で能力を渡すのである。

それを被伝授者にも判りやすくしたものが、「伝訣」「画訣」「観訣」「授訣」である。


しかし本来の伝授法は、意念だけによる「伝音」で事足りるのである。

この方法は、古来いろいろな宗派、功法でも用いられているが、

呼び名はそれぞれである。

「教外別伝(きょうげべつでん)」「以心伝心」「維摩一黙(ゆいまいちもく)」

などと言われているが、要は同じ事である。

この伝達方法の根本は、「黙念」にあることを知っている者は少ない。


繰り返し、黙念の波動が伝達し、共鳴することによる同調が起こるのである。

日々の黙念の積み重ねが伝達を可能にし、功能の引き渡しが行われるのである。

上記「伝訣」「画訣」「観訣」「授訣」や、日之本元極の「伝音」のように、

黙念だけで渡すと多くの被伝授者が伝授されたことが分からないので、

分かるように形を見せて渡すことも行われる。


しかし、本来、格別大きな力の伝授は無形のみである。

そしてそうした場合は、

当然授けられたことが分かる者にのみ授けられるのである。

 (つづく)


キャノンS90

元極功法

先日、ババタヌキさんのブログに踵骨骨折の方の事がかかれていました。
その方は、骨折後すぐ病院でレントゲンを何枚も撮ってもらい、

「ここのところが骨折しています。」

と、写真のある箇所を指し示されながら説明を受けたそうです。

しかし、翌日から長期で遠隔地へ移動する事を告げたら、

継続して治療できないのなら、その遠隔地で治療してもらってくださいと言われたそうです。

そこで、その日のうちに遠隔貫頂・帯功(高山―関西)の依頼をされたわけです。


遠隔貫頂をするとき、

私はふと「これはくっつくな。」と思ったのです。

後からお聞きすると、遠隔貫頂の後、腫れが引き、痛みもずっと軽減したとの由。
翌日、遠隔地に移動なさった方は、翌々日にその近くの病院でレントゲンとCTで、

先の病院より詳しく検査したそうです。

すると骨折部位はどこにも見あたらず、

捻挫ですね。」

という事になったのだそうです。

その後その方は、松葉杖も使わず歩いていらっしゃいます。


以前、下の写真にあるように、

張志祥先生は、交通事故で骨盤断裂骨折で担ぎ込まれた女性を貫頂なさって、

その場で接合、即歩行可能になった事があります。

その女性は、後の元極功法のスタッフになられました。

元極功法

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「目が天」さんの8/288/29のブログに、

突然身体がつらい状態になったことが書いてあります。

修練をしていると、何年に一度か、このような状態になることがあります。

最初は、「毎日修練をしているのに、どうしたことか?」と思いながら、

修練もせず、ひたすら具合良くなるまで寝て過ごす人が多いのですが、

こういった時こそ千載一遇の好機と言えます。

前にもどこかで書いたことがありますが、確か1994年の10月の事だったと思います。

東京都内を歩いていて、突然全身の力が抜けていくのを感じました。

全身何処にも力が入らなくて、歩くのもままならない状態です。

這々(ほうほう)の体(てい)で自宅に帰り着き、

それから三日間何も出来ず、寝たきりでした。

三日経ったとき、これではいけないと思い、ベッドの上に座って静功を漸く、し始めたのです。

初めて暫くすると、それはもう、どうしたことか、

突然「どっか~ん」という感じで、三元エネルギーが入ってきたのです。

スッカラカンになっていた身体の中に、突然エネルギーが身体という容器満杯に、満ち満ちた感じです。

まったく全て生まれ変わったように感じました。

実はその時、中国蓮花山では、年に4回の講座が開かれていたのです。

私も行きたかったのですが、その年にはもう既に2回も行っていて、

仕事上でも、金銭的にも見送らざるを得ませんでした。

その時蓮花山に行った方から後で話を聞くと、私にどかんと三元エネルギーが入ってきたときは、

ちょうど元明塔という、地上11階、地下3階の塔が完成して、

式典の行われた日だったそうです。

この塔は八角形の形をしていますが、真ん中に中空の太い柱が貫通しています。

その式典では、張先生が、その柱の中を天地に繋げられたのです。

どうも、その時に同期して私の中にエネルギーが入って来たようです。

その他にも何回か、つらくなる状況はありましたが、

そういったときは大なり小なり、何か大きな変化の起きるときでした。

それを逃がすことがないよう、そんなときこそきちんと修練すべきだと、経験から悟っています。

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その後、1999年の法輪功事件の余波を受け、元極功法の普及禁止、

蓮花山の観光地化等を経て、中国でも日本でも情勢は大きく変化していきました。


そうした中においても、私は2000年から2006年に掛け、

日本の修練者を集い、何度も蓮花山に足を運んでいました。


そんな2004年のある日、蓮花山で15日間過ごすように声が下りたのです。


それまでの蓮花山行きは、多くの同胞をお連れしての訪問でしたから、

なかなか訪問中に自分の練功時間を確保することが出来ませんでした。


一人で訪れたのはこの時が始めてのこと。

滞在中は、三度の食事時間と、シャワーを使う時間、

日に3時間ちょっとの睡眠時間を除いて、

全て部屋に籠もって修練漬けの毎日でした。


これが私の「閉関」といえるのか判りませんが、

外界と隔絶して行った修練の一つになりました。

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1996年の夏頃だったと記憶していますが、

蓮花山で50日間の「閉関」をするから希望する者は応募しなさいという連絡がありました。


その頃、私は東京で、小さな会社を運営していましたから、

50日間のブランクは、社長として廃社に通じるものでした。


しかし、その時やっている仕事などは、同じように出来る者が世界中に何百万、何千万人もいるのに対し、

その時の自分の功力からして、同じレベルで元極を通じて世界に貢献出来る者は、五人といないと思い、

会社は家内に託し、元極に生きる決心をしました。

まだ二人の子供達が小・中学生の時でした。

日本から応募したのは、私一人。


仕事を整理しながら、修練時間を多くして中国に発つ日を待つ毎日でしたが、

渡航の3日前になって、「閉関」中止という連絡がありました。


理由は、応募人数が多すぎて受け入れ出来ないというものでしたが、

今思うに、私のレベルがまだその段階に達していないのを、

張先生が御覧になって止めたのかもしれません。


未だ嘗(かつ)て張先生の元で、「閉関」をしたというのは、

たぶん、中国元極学研究会副秘書長だった辛勤女士だけしか耳にしたことはありません。


しかし、当然のことながら、

一番弟子であり同会秘書長であった余開記老師や、

娘である冬梅さんはされていることだとは思います。

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先回、
「閉関を始める時には、竅穴がすべて準備されて、準備が整ったということを示しています。」
と書きました。

それについて追記しましょう。

全ての竅穴が整わない状態で行う閉関には何の意味もありません。

意味がないどころではなく、大きなトラブルが生じます。


蓮花山で講座が行われていた時代、毎回のように出席していた韓国の団体がありました。


その団体の会長である OOOOOさんは、非常に積極的な行動力溢れる方でした。

それが二、三年経った頃、暫く見ないなあと思っていた矢先、精神的にも肉体的にも体調を崩し、

張先生に教えを請いに来てみえるのを、見ることになりました。

修練も積極的にしているようだったのにどうしたことかと思っていると、

一人山に籠もって功力を上げようとされたのことでした。


張先生のいろいろな指導により、健康は回復したようでしたが、

それ以後、彼とは二度と会うことは叶っていません。


功法における「背伸び」は、自滅に繋がります。

先哲の教えを忠実に守るべきです。




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普善禅師のご説明の続きです。

モノはモノ、人は人ではなく、モノや人と人が関わり合って生活をしていくわけです。

この世の中にあって、人が他の人やモノと関わりを持たなければ、それは、

人として生活をしていく活力もエネルギーもわかない訳です。

かならず、周囲と関わって、生活をして生存しているわけです。

しかし、個を確立して、関を閉じるということは、個が一つの偉大な存在として成長していくためには、

周囲との関係を絶つことが、ある期間必要不可欠なわけです。

ある一定の時間を一つの事柄に執着しないで、時を過ごせる精神力を養成します。

一つの個を確立し、どんな状況でも、耐えうるような精神力を養うためには、
閉ざす必要があります。

個は、世間と通じる関係を持たないばかりではなく、

個は内を見つめて、内の精神を改善していく必要があります。

ですから、個を閉ざすわけです。

個としての存在は、自分自身を見つめる時間が必要だということです。

また一方、竅穴を閉じるということは、その竅穴は一つの存在では、無くなるということです。

全体として一つとして働くということです。

ひとつひとつの竅穴が動くのではなく、

全ての竅穴が一つのモノとして動き始めるということです。

つまり、球体

存在する全ての竅穴が一つの球体となって、総合的に動き出す訳です。

閉関を始める時には、竅穴がすべて準備されて、準備が整ったということを示しています。

閉関するならば、竅穴は、和合して一つずつ独立していたモノが、すべて、協力体制になり、

一つと一つが二ではなく、十にも二十にもなるような協力体制のとれる、

エネルギーの球(たま)となるということです。




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元極で言う衝関(突関)を開関といっている派があります。

つまりどちらも関(竅穴)を開ける。破る、突く、突破するということです。


それから考えると元極の閉関というのは、文字の意味からすると、

一度開いた関を閉じるということになりますが、

修練の本来的意味は、どういうことなのでしょうか?


普善禅師にお聞きしました。

この「閉関」の文字をそのまま、読み取ってはいけません。

「閉 」とは、閉ざされた世の中と交わりを絶ち、一心に修錬をすると言う意味を持ち、

「関」というのは、「せき」ともいえますが、「関係を絶つ」というような意味もあります。

あなたの指摘している事柄も正しいのです。

周囲との関係を絶ち、一つの個体、周りとの関係の中の個人ではなく、

人として生きると言うよりは、むしろ、神として生きるような存在と成るべく功力を上げるための方法です。

人、或いは社会というのは、人一人では存在して行くことが出来ない、

周りとの関連を持ちながら社会の中で生きています。

物質社会においては、個と全体という関系が存在はするけれども、

本当に個になった時には、何の存在価値もない、存在しえない訳です。

その周りとの関係を一定期間断って修錬することによって、個を確立し、

つまりは個だけの存在ではなく、イコール全体という存在になろうというのです。

たとえば、細胞の一つが、一個になった場合には、存在し得ないわけで、

そうではなくて、次元が上がったときに、一つの意識体として存在可能になるように、

そういうレベルを目指して修練していく方法です。

個となったとしても、常に全体、宇宙全体とか、他の意識体とか、かねあいはあるけれども、

物質界の単なる個と全体という関係ではなく、そこを乗り越える方法であるのです。

個と全体が一緒というか、同期している関係というか、

常に宇宙との合目的的という存在を目指しているのです。



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我が師・張志祥が修錬時代、

その先代・母親から「閉関をする時が来ました。」と言われた時がありました。


何をしたかと言えば、人の出入りの少ない一番奥に有る部屋のベッドの下に、

深さ160センチくらい、人ひとりが胡座(あぐら)で座るのやっとの広さの穴を掘り、

母と妻以外には誰にも告げず籠もったのです。


閉関を始める時、梯子で穴に入り、その後梯子を外して、

穴の入り口はベッドで塞(ふさ)ぎます。

日に三回、水と食事を下ろす以外は外界との接触は一切ありません。

この状態で十ヶ月、修練を続け、心を磨くのです。


これは元極特有の修練方法で、効力を高める重要な方法です。

しかし誰でも好きな時にやればよいというものでもなく、

そこに至るにはそれなりの修練段階に達している必要があります。


達磨大師が面壁九年、少室山(しようしつざん)の麓で蟻とオケラが争う音が、

まるで雷鳴の轟きの如くに響いたというような故事も嘘ではなく、

閉関の類である修練方法といえます。


ウィキペディアには以下のように説明されている。(2012.08.20時点)

嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)は、中国の河南省鄭州市登封にある中岳嵩山の中の少室山の北麓にある寺である。
インドから中国に渡来した達磨による禅の発祥の地と伝えられ、中国禅の名刹である。
また少林武術の中心地としても世界的に有名。
なお、しばしば誤解されるが、少林寺拳法は日本で創始されたものであり、
現在の嵩山少林寺の武術とは別物である。
伽藍は壮麗な七堂伽藍であり、北西には初祖庵、南西には二祖庵があり、五乳峰中には達磨洞がある。


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加えて、「おふだ」のような、伝統的な事柄が差別化されたり、
迫害を受ける文化大革命の時に張志祥に渡すことを、禅師は知らされていましたから、
そこにも一工夫ありました。

現在の、日之本元極が広げようとしているときには、物が力を発揮するときですから、
この「おふだ」のように、物で人々の注目を集めるのも良しとするという事で、
再度使用が許されています。

普善禅師以降、使われはしませんでしたが、その技法や功力は脈々と伝えられ、
張志祥から日之本元極へと伝承されてきています。

張家が受け取る頃には、古い遺物は、打ち消される時代でしたから、
彼等も破棄しなければならなかったのですが、
もちろん張志祥も受けとっていました。

その作用は、明らかにされませんでしたが、
張志祥が書いた著作の表扉にある

「無生生無無不生、有化化有有亦化」

等の文字に囲われた無の空間の使い方は、
伝統的な太一道の「おふだ」の使用法の名残です。

そして、日之本元極の「三元カード」などは、太一道の伝統を残しながら、
新たに功力を増して作り上げた現代版の「おふだ」といえる物です。