元極功法

一般的な生活を送っている人たちから見ると、
元極功法でこうあるべきだと推奨することと、
宗教といわれるモノに入っている人たちが目指している生活態度は、
「どこが違うんだ。」と、
その相違点をはっきりさせることが出来ないかもしれません。
神様にお聞きしても、「その人は宗教に嵌っているから・・・・」
と言われるような事もたびたびあります。

再度、明確に「元極修練者」と「宗教に陥っている者」の違いを明確にお聞きしてみました。

神様が宗教にはまっていると、判断する場合の判断基準はどこにあるのでしょうか?****

われわれは、人のために尽くして働く人との出会いを求めているのです。
人のために働くことが出来るように気功の力を借りること
このことは、極めて素晴らしいことではありませんか?

自分の健康を良くするためにも、この気功の力・功法の力は必要です。
功法の力を強化するために、自分自身が修練をすることが必要なのです。
人のために働くために、気功の功法の力が必要なのですから、そこが宗教とは全く相容れない事柄です。
最終的な「宇宙全体の為に自分を生かす。」という目的の為には、
功法によって自分自身を修練する必要があるのです。

でも間違ってはいけません。
自分の力を強化することが目的ではないのです。
「徳と功は車の両輪」と言われるのは、徳が有っても力が無ければ役には立ちません。
また力が有っても徳が無ければ、現代の各国の指導者達のように
毒を社会にばらまいているだけのことです。

宗教は、我を救うためにあるのです。
宗教は、我が救われるためにあるのです。
我が救われたい。
我が救われるために、心の支えが欲しい人々の集まりなのです。

結局、一生懸命に信じて修練をしても、この功法から離れて行かざるを得ない人々がいます。
その人たちが離れて行き、この功法を一途に修練をする人々がいるわけです。
どうせ自らの意識が残れないと感じ取ったときに、修練を止めてしまう者たちは、天の導きを受けてのことになります。

悲しいことですが、
どれだけ修練をしても救うことが出来ない者たちもいます。
悲しいことですが、現実なのです。

元極功法

中国元極功法二部 「元極修真原理」

法訣
心印応明鏡 信定持以恒
徳養浩然気 正身滅無明
観訣除百病 念化動静生
悟定通霊妙 性命同帰根
無人無我地 一字放光明

増田
中国から「てい」先生 と「おう」通訳のお二人をお迎えして元極の修真原理、法訣についてご説明をして頂きます。
お二人は私が元極を始めました20年くらい前に日本に来て頂いていろいろ教えて頂いた、てい先生は私の兄弟子にあたります。てい先生は元極支部の副会長をずっとやってこられました。中国一の大きな支部で、会員数は約10万人くらいの会員を束ねてやっておられたわけです。

1999年に法輪功事件があって、元極の普及が不可能になったので、その後は主に点穴、今回も時間をとってやって頂きますが、てい先生は14,5才の頃から45年ぐらい気を使ってツボからエネルギーを入れて経絡を通して病気を治すということをやってこられました。達人の域に達しておられる方です。

今から法訣についてご説明を頂くわけですが、その前に一つ皆さんにお伝えしておきたいことがあります。それは今まで伏せておりましたが、昨年の12月3日に張先生がお亡くなりになりました。それから一月も経たないうちに、あそこにも写真のあるお母さんが97才でお亡くなりになられました。これはどういうことかというと、先程言ったように中国国内では、元極功法を広めることが出来ないような状態になっていましたので、神界の方に行かれて、そこから実質的に我々に対してご指導、あるいはお導きを頂くことを選択されたということです。元極功法で難病と言われるような病気を自在に治せるお力をもっていらっしゃる訳ですから、ご自分の病気を造ることは容易いことです。

ただ、残された我々は元極の教えをしっかりと守り、発展させていかなければならないと思っています。

元極秘録の中に「修行を積み、創新と突破に努めること」という一行があります。これは、張先生のお母さんが、張先生に繰り返し繰り返し諭して、聞かせた言葉です。それを忘れないように伝統を守って、新しいものを作り上げていく、これを我々もしていかなければならないと思います。今日は是非しっかりと勉強して皆さんの力をつけていって頂きたいと思います。よろしくお願いします。

てい先生
今日ここで日本で元極学を頑張っていただく学友の皆さんとお会いできて大変嬉しく思っております。増田先生と20年前に知り合いまして、私も増田先生と同様に張先生の弟子として頑張ってきております。張先生は亡くなられましたけれども、文化財産でもある元極功法を残して頂きました。我々はこの功法に沿って続けていくのが使命であります。

今日は二部功法の修真原理について説明させて頂きます。教えるというよりも、皆様と一緒に、ここで修練していきます。増田先生もいらっしゃいますので、お互いに切磋琢磨という形で頑張っていきます。元極学の二部功法は「鴻蒙済判法」と言いますけれども、非常に大切な部分であります。一部功法は、天・地・人が生まれるという段階ですが、二部功法「鴻蒙済判法」は、一部功法を基礎として、その基礎のさらに一歩上に成り立っている功法であります。

一部功法の人、天地の上で、二部功法では、日と月という段階です。所謂真の陰と真の陽が生まれる段階であります。二部功法の具体的な修練の方法としては、中丹田、命門、中黄庭を修練します。皆様ご存じだと思いますが、人間は生まれながらにして先天の三元をもっています。それがだんだん成長するに従って、先天のものが少なくなってきます。そして我々の後天の修練によって、天地の気を体に吸収して、気を補います。

常に静功という形で自分のエネルギーを体の中で調和させます。それによって体内では、元光が生まれてきます。二部功法では、太陽と月のエネルギーを吸収して、身体の中で真陰と真陽に生まれ変わって、気を補足します。こういう後天的な修練によって、消耗している先天的なエネルギーを後天的なエネルギーが補います。

中国の歴史の中では、徳を持っている仏教あるいは、道教のある方が、非常に重視しているのが胎息です。世の中で生き物として長生きするのは、亀と蛇です。長生きできる理由は、亀も蛇も両方ともの太陽と月のエネルギーを常に吸収すると考えられています。亀の生習慣は、昼は太陽の気を吸収して、夜になると月の気を吸収します。旧暦の1日と15日のように、太陽や月のエネルギーが大きい時に、ほとんどの亀たちが出てエネルギーを取っています。そういう太陽と月からエネルギーを取ることを錬丹とも言います。

二部功法では、陰中陽と陽中陰を修練しますが、その中間に中黄庭が有ります。陰中陽、陽中陰は丹田のところを言います。元極で言いますと、丹田に錬丹する。中国では、落宝と言います。元極では錬丹と落宝と言いますが、皆さんご存じだと思いますが、道教の方では、昔から錬丹という功法があります。それが、深く修練されている方は初めて錬丹に至る所です。

仏教で言いますと、舎利を修練すると言います。相当高い段階、相当修練されている段階、舎利の処まで行きます。こういう修練の方法論としては、中国では、功法は教えますが、原理は教えません。ですから、相当深い段階に入るのが難しいのです。

先程言いました、錬丹と落宝の時間帯としては、旧暦の1日、3日、13日、15日です。一日の中では、4つの時間帯になります。子の刻(23:000~1:00)、卯の刻(5:00~7:00)、午の刻(11:00~13:00)、酉の刻(17:00~19:00)です。4つの時間帯は非常に肝心であります。これらは、太陽と月からのエネルギーを取るにはいい時間帯で、効果が高くなります。

先程言いましたように、修練の方法は教えますが、原理を教えないというのが昔の中国のやり方です。元極学では、張先生がすべて公開しました。功訣までも教えています。初めて元極学を勉強しても、理論までも身に付けることができますから、中国では元極学院で「少し勉強するだけで、時間が短くても、それなりのパワーを感じることができます」とよく仏教や道教の方に言われます。

元極学の二部功法では、性と命の両方を修練します。元極の修練は、体の内部で修練すると同時に、体の表にもでてきます。感じれば外からもわかります。自然に他の人にも外からも感じることが出来ます。

道教とか、仏教とかでは、「悟り」という言葉がありますが、原理は教えません。本人に知らないうちに修練させて、そのうちに「悟れば、わかる。悟らなければ、そのまま続ける」というのが方法です。元極学では、法訣まで公開しています。

教科書の中で張先生が書かれていますが、修練というのは、全身と天地宇宙が一体となって、一緒に修練します。修真の原理としては、中身が豊富で、勉強しても勉強しても奥深いものです。タケノコの皮をむくように、むけばむくほど真のようなものが出てきます。
道を修練するのは微妙な処から修練します。微妙な処から芯(真)のようなものがでてきます。

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本日の要点を繰り返します。
一番目に「胎息」 先天に近い呼吸法。
「性と命」の修練です。体、形ある体。形のない性。それが後天と先天。合わせて修練し
ます。自分の先天と後天、形あるものと形ないものを修練します。
次に言いたいのは、人間と天との関係です。「天人合一」と言います。
自然界には24節季があります。それぞれ時期が違います。人間の体とそれぞれ対応していま
す。人間が修練するときに周りの環境、自然界との関係も忘れずに時間を選ぶわけです。
修練する時間帯は、「子」の時間と「午」の時間です。
子時間は、夜中の11時から1時まで。午時間は、昼の11時から13時まで。
夜中が陽。昼間が陰。
朝の5時から7時まで。夕方の5時から7時まで。それぞれ陰中陽と陽中陰にあわせて
ます。体も陰と陽です。時間帯も陰と陽。夜中から寝ないで朝まで修練する人もいます。
それは、間違っています。陽ばかり修練して自分の体として陰が弱い人。そんな人が陽ば
かり修練して逆に自分の陰がもっともっと弱くなる。昼間の時間修練しない。そんな形で
時間をかけて陰陽知らずにしていると効果が小さい。逆に自分の陰陽バランスを崩してしま
います。ここで強調したいのは、体のバランスをとること。理論と方法を知らずにしてい
るとアンバランスになります。おそらく仕事関係などありますので、必ずその時間に合わ
せることは出来ませんが、そういう理論、方法を知った上でそれに近い方法でやって欲し
いのです。
インドネシアは、赤道に近いところです。南の方に行くと、何となく男の方は気がゆっ
くりします。にぶい、何でも遅い。逆に女の方は働く、何でも速い。理由としては、そこ
は赤道に近い所。陽が強い所。陽が強いと女性が元気です。女性は陰中陽です。男は弱い

北方にいくと反対です。男が速い、女が弱い特徴があります。
極端ですが、暑すぎる所は陽が強すぎる。寒すぎる所は陰が強すぎる。両方とも良くな
い。バランスが合わない。何処がいいかというと真ん中あたり。四季がはっきりしている。
日本あたり。冬もあって夏もある。両方ある所。陰もあって陽もある。バランスよくな
ってます。陽の時に何を修練するか。陰に合わせて修練する。陰の寒いときに何を修練す
るか。陰陽のバランスを考えて修練する。そういうことを常に心がけて、分かった上で行
って欲しいのです。人間の体はあくまでバランスです。陰陽のバランスが合えば健康に
なります。

元極学の理論で必要なのは「天人合一」。体と自然界との関係「天人合一」という理論で
す。どういう時に何をするかは、非常に大事です。修練もそうです。時期と時間帯をみて
修練する。
修練する時に気を付けてもらいたいポイントは、竅穴を守るときにあまり強くすると返
って良くない。有るようでないような形、力を使わずに気を使う。気を使わずに意念を使
う。意念を使わずに念訣を使う。一番重要なのは念訣。意念と気と力。一番初段的な力。
集中しすぎて力を入れすぎると効果が現れない。
修練する時、竅穴が力よりも気を使う、意念を使う。それぞれ竅穴が変わりますが下の
段階では、気の流れ、気で循環させる。玄関というところから、意念を持って行く。意念を
使って玄関から心をもって竅穴に送る。気と意念と竅穴、それぞれ使う場所が違います。
意念を使わずに念訣を使うということは、雑念が発生する時に無理に雑念を払い出すと
考えると非常に難しい。意念を使わず念訣すれば自然に雑念がなくなるという意味です。
「意念を使わずに念訣する」雑念を祓い出すよりも念訣で自然に雑念がなくなるという
ことです。
修練していて変になることがあります。そうなるのは注意事項を見なかったからです。
まとめて言いますと、人間の修練は、先天と後天の考え。性と命の関係が一つめ
二つめ人間と自然界天地との関係「天人合一」 先天後天、自然界との関係の二つです

二つのことを覚えて修練する時に自分の体に無理させない。無理させない方法論を十分
覚えたうえで行って欲しい。基本を理解した上で行えば難しい問題も、簡単に身につけら
れる。先天後天、人間と天地の関係。こういうことを認めた上でやっていきます。

最後に元極図のお話をします。修練する各竅穴 前と後ろ、上下、四次元も元極図で表
現しています。陰中陽、陽中陰、皇極という形で竅穴が表現されています。元極図は有名
な普善禅師によって描かれました。真ん中の皇極がはっきりしたわけです。もっと
はるか前から太極図はありました。太極図は韓国の国旗にもなっています。それに比べて
元極図は、奥の深いものになっています。太極図は真ん中の皇極がない。元極図は、規律が
ととのっていて、太極図には結果が生まれない。元極図は陰陽があって皇極があってバラン
スがとれています。自分の体も一つの元極図です。そのことも分かった上で修練してくだ
さい。
私の知識は大ざっぱで、一つ一つ内容を見て話すのでなく雑談のような話です。具体的
には、増田先生が本を書いてらっしゃるので、その方が分かりやすいかもしれません。
今日お話した内容は、皆さん分かったかどうか分かりません。分かった分は通訳さんが
旨く訳した分で、分からなかった分は私が下手くそだったからです。と お話されました
。(笑い)
ありがとうございました。

増田
これでお二人が来日してくださった講座の最後になります。いろいろ皆さん勉強になっ
たと思います。ぜひそれを毎日の修練に生かして、なお高みを目指していただきたいと思
います。ここで いろいろ修練している訳ですがカバーしきれない所があります。例えば
時刻の問題があります。子の刻、午の刻。午の刻の修練はここで出来る。でも子の刻は非常
にやりづらい。酉の刻は出来るけど、卯の刻には皆さんと一緒にできない。ですからそう
いう所を、皆さんがご自身できちんとご自宅で補ってやって頂きたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

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2018年10月23日(火)新宮修練舎15:00~17:00 講演

皆様こんにちは。これから講座を始めさせて頂きます。私はここに立ちますが、先生扱いしないでください。皆さんと同級生であると共に元極学を勉強して、元極学の理論とか体験等をここで皆様の方にお話ししてきます。ここで少し見ましたが、増田先生の方がものすごく、色々なことを元極学についてたくさん書いていらっしゃることに事に気づきまして、皆様も同じように増田先生についてたくさん勉強されていると思います。私がここに立って間違った部分があれば是非ご指摘ください。

元極学の本には、たくさんのものが含まれていまして、奥深い理論として張先生が書いていらっしゃいます。それを考えるために、一つの入り口としまして歴史から入っていきます。八百年前の太一道から、だんだん発展して元極秘録になって張先生が公開する。歴史の線があります。元極学を応用するには、元極功法であります。それをまとめてわかりやすくするには、昨日お話しましたように「浄、定、観、運、真」という段取りで考えます。

たくさんの元極の先輩から、張先生からいつも教えて頂いたのは、「浄、定、観、運、真」の最も需要なのは、「観心、守竅、念訣」のこの三つが一番の基本であります。「観心」心を観るという「観心」ですが、「心」というのは、慧心の「心」であります。上の方に存在していまして、」心臓の「心」ではありません。「観心」としての方法としては、昔から言われていますが、「大乗」の方法です。

「心」の役割は体、自分と天地と一緒にコントロールしています。また「心」とは宇宙にある物事の規律であります。そして万事万物をコントロールするものであります。「心」によって万事万物が生まれます。「心」によって万事万物が変わる。「心」によって万事万物が調和するという言葉で、最後はすべてのものが全部「心」によってコントロールされます。だから、「心」は全てである。「心」によって万事万物が生まれてくる。宇宙の万事万物の運化の一番の規律である。玄関から中に一分三

寸の深さで、玄関の中に存在します。ですから心臓ではなくて、上に存在します。有形有象という言い方で言うと、この玄関から奥には松果体(松の果物と書きますが)があります。「心」が目によって反映されます。手によって反映されます。そういうときには例えば張先生の目を見ると光ります。手の方も光ります。そういうときには「心」が反映されています。有形の考えで言うと、目で存在する、手で存在すると言いますが、無形無象の考えで言うと、「心」はどこにもなく、どこにも表現できます。修練者でいうには、「慧心」であります。知恵の「慧」で巡るということになります。

先ほどは「心」の話をしましたが、次は「守竅」です。竅穴を守る。竅穴のことになりますと、「竅穴」が「心」によって開発されます。「心」と「竅穴」が一体となると非常にいいことが生まれます。

「心」を各竅穴に持っていくことによって、修練のレベル、次元が変わっていきます。「みょう」たくみという字を書きますが、「心」と「竅穴」が一緒になって竅穴が出てくると、たくみ、「みょう」のものが出てくる。何と表現したら良いかわかりませんが、非常に、さすがというような、思いになります。各竅穴、次元によって違ってきますが、たくみがそれぞれ違います。体の中の内景図が違います。竅穴はどのくらいの大きさかと言いますと、指の甲の位の形、大きさとイメージしてください。

竅穴の修練でエネルギーが蓄えられます。各竅穴によって蓄えられます。最終的に貫頂する先生、張先生がエネルギー、パワーがあるかと言うと、竅穴によってエネルギーが貯まってくる。ですから、「観心」、「守竅」、三つ目としては「念訣」。何回も繰り返して言いますが、十字真言の念訣となります。十字真言は先天の情報です。人間が生まれるまで、お母さんのお腹にいるときの十カ月の胎音に対応しています。先天の情報として、人間が先天からもってきている、天地とつなげる情報として体の方についてきます。

元極学の先祖たちが先天の情報を見つけました。子供が生まれるまでの十カ月。一ヶ月目、二ヶ月目、…とそれぞれ音が変わります。それぞれ十字真言という形で表現します。十字真言、先天のものがそろってから、十カ月経ってから、人間が初めて生まれます。生まれて目が開いて、耳が聞こえるようになります。生まれてから後天に入ります。先天のエネルギーはたっぷり充実したままで生まれて、後天に変わっていきます。

元極学で考えますと、先天のものが充実しないと、欠陥が残ります。子供が十カ月お母さんのお腹の中にいて、先天のものをいっぱいもらってから生まれてきます。日数が足りずに生まれてくると、七ヶ月、八か月で生まれてくると、先天のものが弱いです。あるいは一つまたは二つ音が足りないことがありまして、そういう子供には病気や欠陥が残ります。そういうことを知った上で、お母さん自体がしっかりして、元極学の音楽を聞いて先天のエネルギーをいっぱいもらえば、早産児ということは発生しないはずです。

元極学を学んだ方は自分の親戚や家族の方で妊娠した方、妊婦には、妊娠したら、元極学の音楽を聞かせる。流す。こういうことから先天の情報が体の方に入る。元極の音楽を聴く人間は何となく安定する。先天のエネルギーをいっぱいもらえていい子供が生まれてくる。

念訣とは情報です。情報を教える。一般の気功法は形だけを重視しますが、本当のものは教えていません。元極学は間違いなく十字真言のような訣を教えてくれます。念訣によって後天の体が先天と繋がります。念訣すればするほど、先天のものと情報交換ができて、一番の表現としては、修練しているうちに唾液が沢山出てきます。唾液が出ることでさらに自分の守っている竅穴に送る。そういうことで竅穴がはっきりできて、エネルギーが蓄えられます。修練者としては最終的に四次元まで修練して、体全部の全竅穴に開設するわけです。元極学では三環九転と言いますが、体全部の竅穴に気が流れるようになります。三部の功法に入ると、皇極ができあがります。エネルギーが自由自在に使えるようになります。

元極学の教科書に書いてあるように、無生生無無不生、有形、無形の世界になります。自分の修練によって全てのことに対して全部解釈できるという段階にあがります。自分によって全てのことがわかってきて、どう説明しても、どう解釈しても、理解できるという、本当の心を持つ人間になれます。以上まとめていったのは、強調したいのは、「観心」「守竅」「念訣」がいかに重要であるか、どれ一つ忘れて修練しても、元極とは言えません。

次は具体的に説明します。元極功法の基本の理論をお話ししましょう。一部功法では、十の章に分けて書いてあります。「心印」、「信定」、「養徳」、「正身と無明」「観訣」「念化」「悟定」「性命根本」「無人無我」人も無い、自分も無い状態ですね。「一字放光明」と10に分けてテキストには各章書いてあります。

十の部分がありますが、これからは一番と二番に絞ってお話しします。まず一番目「心印」からお話しします。「心」とは鏡。「心」は鏡のように。鏡は汚れると何も映りません。きれいに映らない。「心」をいつも鏡のようにきれいに拭くということ。よく「明鏡」という言い方をします。明るい鏡。汚れない。1寸も汚れない鏡のような「心」。これこそこういう表現で言えます。「元」は即ち「道」である。「道」即ち「我」である。「我」即ち「真」である。「真」即ち慧心の「心」であると。全体が汚れない「心」。全体が汚れなければこういうことになるはずです。

仏教の例えで一つ例を挙げて言いますが、中国の「青海省」チベットに近いところですが、タール寺という非常に有名なお寺があります。そこの昔の有名な大師、「ちゅうかば」という大師がいらっしゃいます。仏教の有名な大師です。その大師の言葉でずっとタール寺で掲げてありますが、「仏」は即ち「我」である。「我」が「仏」である。修練者のことですよ。修練者自身が「仏」になる。仏教で修練すると「仏」は「仏」、「我」は「我」ということは大間違いです。「仏」はどこに居るかというと自分の心の中に居る。修行者が最後の自分の修行によって、仏が出てくるのは、自分の「心」から出てくる。彼が言っているのは修練者イコール「仏」であるという言い方をします。その言葉は仏教では有名です。

それを取り入れて話したいのは、元極もそのように考えます。「元」は「道」である。「道」とは天地万物の理論、元であると。自分の修練によって「心」がきれいになれば、「道」は自分の「心」と一緒です。最終的には「心」にとまります。自分が修練したいのは、求めるのは「心」であります。

初心者からよく質問を受けますが、「心」とはいったいどこにあるのでしょう。元極では「内景図」と「外景図」があります。「内景図」は自分の竅穴。「外景図」は空。虚空界、太空界、・・・・とありますが、どうやってそれがわかるのか。という質問が初心者の方から多いのです。修練しないとわからないはずなのです。それでも勉強するか辞めるかという話になると、「心」というのは「我」ということを理解した上で、混沌の状態から勉強に入り、ある程度積み重ねるとだんだん分かってくるという話です。混沌からおきて最終的には明白に変わります。

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元極秘録の簡単な言葉に「道理がわかる」ということがあります。道理がわかれば、これこそ修練である。この身体、自分がそういう物事がわかって、今度初めてそうであると、無理させない。自分がいい状態になります。一人一人がいい状態になります。家庭では両方があります。陰と陽。男が陽で、女が陰。一方ができなくてバランスが崩れると和の状態になりません。それぞれできた自分になると初めて家庭も幸せになります。人はそれぞれ自分の努力で家庭がよくなる。みんなの努力で会社、世の中がよくなるという理論で元極では唱えます。
以前インドネシアから来て元極学を勉強している「りんさん」という方がいます。蓮花山にきて勉強する。インドネシアの方々は寄付が多いです。毎回毎回寄付します。ある日一緒になって蓮花山とは違いますが、お寺に行って寄付をしようとしたのです。お寺のお坊さんに褒められた。あなた方は本当に幸せな人間です。幸せな一人一人というのは、本人が修練しているということです。修練できて幸せに来れる。また寄付の心をもってさらに幸せになれるという言葉を聞きました。当時てい先生が隣にいたから。お坊さんにこの話を言われました。そこで思ったには人間がいい人になると、家でも修練している。一人一人家にいても自分を幸せにさせるという修練こそ、うちで言う修練であります。
こういう道理を理解して家にいても修練できます。対照的に中国の沢山のお寺では修練者というよりは仕事で行っている人が多い。大学を卒業して修練しています。それがあくまでも形で、本当の修練とは家にいてもできます。
今仏教の話をしていますが、翻訳は難しいですから。意味はウサギの頭から鹿の角を探す。これは不可能ですね。人間は無理をさせない。無理をする。不可能のことをすれば、自分を苦しめる。結果としては何も生まれません。苦しみだけが生まれる。物事を理解することが大事です。家にいても修練できる。言いたいのは、こういう方法論は、張先生が教えてくれました。張先生のしたことは、こういう理論を世の中に公開する。たくさんの人が深い山奥に行かなくても修練できるという方法を教えてくださいました。こんなに素晴らしいことを教えてくれた先生は、今は亡くなりましたけど、蓮花山には2億の財産があります。何もない土地から、開拓してたくさんのものを作られました。財産としては2億人民元があります。最後に張先生がすべて寄付しました。元極に寄付しました。元極のものになると。契約的には、政府で証明できる形でやっています。張先生の子供でも受け継げない。元極にあげるという形にしました。張先生がこんなにたくさんのことを残して、元極を残して、蓮花山を残してくださいました。我々は縁があって、元極に接して、本当に勉強を続けて欲しいと思います。
時間が来たようです。
短い時間でこれ以上話せませんが、ありがとうございました。

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せいか(精華)不明だと苦しい。世の中の規律、決まった流れ、人間は規律、流れがわからないから苦しんでいます。物事の運営の規律が理解できないから、自分が苦しいです。人間は先天の状態では幸せな状態です。子供はみんな喜ぶ。苦しみを知らずに。先天の人間は幸せです。後天になるとだんだん苦しくなるのです。人間の口、耳、鼻によって外部世界と接していて、人間の欲望や雑念が生まれてきて、苦しみが身についてきます。人間の欲望、人間の喜び、悲しみ、怒り、考えすぎ、憂鬱などがそれぞれ我々の五臓六腑を痛めています。
人間の欲が身体を痛めています。あと自然界、四季によって自然界も、風、雷、暑すぎる、寒すぎるなども身体に影響してきます。陽のとき、陰の時、夜と昼それぞれ人間の身体に影響します。欲望で痛められる。周りの環境で痛められる。何を言っているかというと、「せいか」のことです。「せいか」とは世の中の規律。それがわからないから人間は苦しい。どうやってそれをわかるかと言えば、無理をしません。無理に怒りすぎると自分の感情を痛めてしまいます。そういう規律がわからないから、いつも自分を無理させます。それで人間が苦しくなります。病気になります。四季のこと、自然のことで色々ありますから、悪い日に無理に何かをしようという時も自分が苦しくなる。それが世の中の規律なのです。規律を知らないと人間が苦しいです。苦しくならないためにはそういうこと理解した上で、理論を勉強して、修練して、きれいな自分になる。安定した自分になる。という話です。

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この図は増田先生が作った図ですね。もとつきわみ内景図。
これを見て毎回来て、いつも感動します。この図を見て日本の皆さんは理解しやすい、わかりやすいと思っています。こういう図で、元極の竅穴は、絵で、本で世の中に公開すると誰でも勉強できる。全て張先生によってなのです。それまでは何百年も歴史上では秘密で伝わってきたわけです。他人には教えない。とくに貫頂、玄関、天目を開ける。という方法は、近代になって張先生によって初めてこれが元極説が流れます。張先生の素晴らしい理論を公開されています。
今皆さんも同じですが、元極に出会って元極を勉強することはなかなかの縁だと思います。恵まれていると思います。中国でも昔や修練者を探す。修練したいという方が多いのです。深い山に入って仙人を探し、勉強したいという人が多くいます。本当のものを身につけるには、本当の人、大師に出会って教えてもらうことはとてもできません。皆さんがこういう形で簡単に勉強できることは、張先生のおかげだと思います。
一万人も、二万人も集まって勉強しますが、当時張先生が公開するために、学費が非常にに安い。入門しやすいという形で設定しています。それでも、貧乏で、蓮花山に来ることができない。自分の都合で蓮花山に決まった授業に行けなくて、家で修練するには本にまとめて教えるようになっています。昔の修練者は山の中に行って先生を探して、山の中で修練する。これが昔のやり方です。今は一般の人、たくさんの人に勉強してもらうには、家にいても修練できる。家で修練するという形にしますというのが張先生のお考えです。今の現代社会になってみんな生活、仕事があります。全部捨てて山の中に入って修練するという人はごく何人もいないでしょう。たくさんの人に勉強してもらうには家でも修練できるという形にしないといけませんと、張先生がいつもおっしゃいます。
私が重要に思うのは、「和」の字です。それぞれ人間は自分の家でも修練できる。一番の元は「和」を考えなければなりません。「和」は元極が求める徳でありまして、「和」ができてこそ、家庭も幸せになるし、会社も、世の中もバランスよくなります。「和」を忘れずに修練して頂く。

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「ひりん」の話からこのようなお話になります。詳しくは明日展開します。簡単に言うと元極学では道教、仏教、儒教の3つの精華(せいか)、素晴らしいこと集めて元極学にしています。道教も、仏教も儒教も性命の「性」に対しては非常に重視しています。そういう意味で元極では性命説、人間の先天と後天を分けて考えています。「浄、定、観、運、真」それぞれ修練のレベルを表しています。元気の段階、元光、元気と元光を化合、一緒にする段階。元音の段階。最後は気と光と音が一緒になって人天という段階になります。「浄、定、観、運、真」はたぶん最初は難しいだろうという印象です。それぞれ対応します。逆に考えると理解しやすいかもしれません。元気が満ちてくると浄、きれい、静か。という意味です。元気がたまると人間はきれいになります。頭がきれいになります。中がきれいになります。さらに修練しますと元光の段階。光が満ちてくると、「定」は安定の「定」です。人間が、中国語では「定力」という言葉がありますが、日本語でもそう言いますか?
定める力。定力というのは地震があっても慌てません。台風が来ても、津波がきても、安定します。ある程度までいくとこういう人が非常に落ち着くというか、しっかりするわけです。元光の修練の段階に来ると、人間はこういうふうに安定する。さらに次の段階にいくと「観」。これは観るという段階です。自分が物事がわかってきて、全てが観れるようになります。世の中の決まったこと。普通の人はどうしてそうなるんだろう。と思うような不思議が多いですが、こうなるとすべてが見えるという賢い時になります。次の段階は「運」。運会の「運」です。全部略字ですが。この段階に来ると動かせる。他のことも全部動かせる。人も、物事も動かせる。最後は「真」です。本当の自分になります。悟って全てがわかる。仏のようになります。
一部功法、二部功法の段階で「定」の方が少し入りやすいとおっしゃっています。人間がきれいになる。自分が「定」の段階になると、精神的に集中力もよくなるし、知恵がありまして、身体の方も悪いことが寄ってこない。
繰り返し説明しますが、次の「観」は、普通人間は道理がわからない。なんでどうしてそうなるのかという質問が多いが、この修練になると、周りのことは観ればわかるようになる。全てのことが理解できる。思想、考え、賢くなります。物事が全部理解できるようになります。階段のように、」5つの階段で、普通の人にとっては、きりがないでしょうが。最後の自分を見いだす段階があります。
こういう5つの段階。自分で静功を修練するとき、身体の方に対応しています。下丹田、尾ろ関、下黄庭の部分は「浄」の段階。元気のレベルです。中丹田、命門、中黄庭は平面図になって「定」の段階です。おそらくみなさんはここまで、これ以上はできていないかもしれませんが、五段階に分けてやっています。目標を立てて。こういうことであると理論、静功、竅穴も元極図という形で表現しています。

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元明塔の中は空っぽです。階段があります。階段は真ん中ではなくて周辺で階段が登るようになっています。窓が上に行けば行くほど、小さくなります。一番上11階に登るとほとんど外が見えなくなります。修練者が元明塔で経験するとわかることですが、各階で修練すると窓がだんだん狭くなります。外の世界は見えなくなります。見なくていいと。真ん中が空っぽで、人間として修練がある程度達すると目で外の世界を見るのではなくて、自分の中の部分に集中する。修練と同じです。修練すると自分の中の部分が明るくなります。自分の雑念だとか、欲望だとかは自分で閉鎖します。
元明塔は人間の身体と一緒である。張先生がおっしゃるには、人間それぞれ元明塔である。というお話をよくします。レベルが上に行けば行くほど、自分の集中力、自分自身に集中することが重要です。これは修練者が、普通に例えて言ったのですが、同じ十字真言を唱えるにしても、音楽が流れていても、自分の集中力がなくて他のことを考えると、形だけあっても他のことを考えると、目を開けて他のこと、門がしまっているか。心配ことが多すぎると、形だけ、精神的な修練にはならない。それはなるべく避けてほしいです。
元明塔の話をしました。元明塔の他には元極堂と「元極碑林」があります。元極堂は張先生のお母さんのために作った建物です。3階建てです。これもものすごくエネルギーが強いところです。反対側には「ひりん」。これは元極のために貢献された人、寄付された人の名前が書かれています。あるいは中国各地から有名な碑を作っています。元極堂は3階建てでさっき言ったようにエネルギーが強いところです。三階はそれぞれ、元気、元光、元音。これが元極の気功法です。気と光、音に分けています。エネルギーが強すぎて、ほとんどの人が一階で修練します。2階では相当レベルが高くて集中できない。さらに上にいって修練する人はなかなかいません。「元極碑林」。中国で有名なところは、石碑とか文化として残っています。昔のことが石に刻まれています。昔のものが石と言う形で残っています。「碑林」を作ったのは、「たく本」という形でとってきて、改めて作っています。伝統、文化。真ん中は元極の碑、周辺は仏教、道教、儒教、医学と武術。5つの部分にわけて、場所にそれぞれ碑を作っています。伝統、文化、有名な昔こうされたというものを集めています。道教と、仏教、儒教、医学、それぞれ道教では五行と言います。金、水、木、火、土。五行説も文化として残ります。同じく仏教では五音という形で残ります、儒教では五徳、徳が5つ。医学では五神と言います。元極学では五和。和を合わせます。五和というのは、「浄、定、観、運、真」今日は簡単に説明します。

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ここの例えもあります。中黄庭。ここに来れば苦しいことはこれ以上ない。人間には来世もありますから。人間が来生鬼になるか、動物になるか、人間になるか、あるいは神様になるか。それぞれ言い方があります。人間の魂。膝から出るか、お腹からでるか、心臓から出るか、頭から出るか。によって変わります。膝から出ると鬼になります。お腹から出ると動物になります。心臓からでると人間に変わる、頭から出ると神様になります。という言い方があります。来生というのは。下黄庭をしっかり修練すると、まず鬼になることはありません。下から出ることはありませんという例えです。
下黄庭という竅穴は、初めての人はここを探せません。わかりません。修練者の言い方では、真っ暗で見つからない。九本の矢をやっても通らない。難しい竅穴です。修練によって明るくなるとかなり自分の身体が、能力としてはすごく変わります。修練と同じように下黄庭の修練、初めて接する人もいますし、少し勉強している人もいますし、ちゃんと竅穴をわかっている人もいます。修練者にとってここに来るということは、修練は誰でも行けないかもしれませんが、誰でも場所としては蓮花山に行けば行けます。そこに歩いて行くことは可能です。しかしここに立ってみるとまた違うのです。人が感じることと見えるものが違ってきます。
元明塔の話をします。通天橋は元明塔に繋がります。通天橋を歩いて元明塔に登れます。元明塔は13階あります。13階ありますが、11階までしか登れません。上は○○がありまして誰も通らせません。張先生なら通れますが。他の人は11階までです。元明塔の中で修練するというのも可能です。てい先生は9階と11階で修練したことがあります。だいたい2時間。もうそこに座るだけで、2時間というのはあっという間に終わります。そこで身体の方はものすごく変わります。