伝統

台湾、香港、シンガポールなどで使われている風水の道具に魯班尺という物がある。
以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

魯班尺(ろはんしゃく)とは、風水術で使われる専門の道具の一つ。「風水尺」とも呼ばれ、物の大きさ、長さの吉凶を判断する物差しである。中国、春秋時代の魯班によって考案されたとされる。長さの目盛りは上下2段となっていて、上段が「門公尺」、下段が「丁蘭尺」と呼ばれ、計る対象物によって使い分ける。

赤い目盛りは吉、黒い目盛りは凶を示す。
門公尺(もんこうじゃく) [編集]

* 用途:建築建物寸法
* 単位:5.4cm(刻み)
* 記載文字:吉「財,義,官,本」,凶「病,離,劫,害」

丁蘭尺(ていらんじゃく) [編集]

* 用途:墳墓寸法
* 単位:3.88cm(刻み)
* 記載文字配列例:、吉「丁,旺,義,官,興,財」、凶「害,苦,死,失」

二つの尺は、計る対象物によって使い分けます。
門公尺(もんこうじゃく) 建築建物寸法 (上段の目盛り、42.9㎝で繰り返す。)
門、玄関、扉、出窓、欄干、天窓、畳等の高さ、幅を測ります。

丁蘭尺(ていらんじゃく) インテリア寸法 (下段の目盛り、38.8㎝で繰り返す。)
家具、ベッド、タンス、椅子、枕からバッグや鉛筆など持ち物の寸法を測ります。

以前、このブログに書きましたが、私が元極学を始めた頃、自宅の屋上に5メートル大の元極図を描きました。この時、元極図の総ての寸法がこの尺の吉になるように大きさを決めたのです。

寸法を決めるのに、大変な時間を要したことを覚えています。

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私が、初めて自分の書いたものから三元エネルギーが出ているのに気がついたのは、15年位前、山梨の甲府、甲斐一ノ宮浅間神社に行ったときのことでした。

一ノ宮とは言え、狭い神社で着いたときは少しガッカリしたのを覚えています。
せっかく来たのだからと気を取り直し、お参りを済ませて社務所で御由緒書きを戴いてきました。

戻ってきてから、ゆっくりとその後由緒書きを読んで、御祭神などを見てみると、「木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)」と書いてありました。
この頃は、まだ神様のことなど殆ど知識が無く、
「ほう~、難しい字だなぁ。」
と、側にあったボールペンで紙に一度その「木花開耶媛命」という字を書いてみたのです。

書き終わった後、何気なしに、その紙の上に手が来たときに微かに暖かい感じがしたのです。
「あれ~?」
と思い、次々に知っている神様の名前を書いてみました。

そうすると、神様が違うと、その手に感じる暖かさだとか、痺れるような感覚に微妙な違いがあることに気がつきました。
「おお~、神様によって出てくるエネルギーに違いがあるんだ。」
妙に感動した記憶があります。

その後、元極功法の修練を積み重ねるに従い、
書いたものから出てくるエネルギーは、ドンドン強くなっていったのです。

 (完)

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御札の効果というものが、書く者の想念の強さに寄ることが判りました。
その他に効果に影響を与えるものがあるのでしょうか?

その1  札の書き方によって、効果が変わるのか
丁寧に書く、想念が塗り固められる、想念がより強力に働くという点では、丁寧に念を込めて念じながら書くことは、効果が上がります。
念じる力が強ければ強いほど効果が上がります。また、言霊の力を使えばさらに力が上がります。金線(元極功法上級修練者には頭頂部より中空に向かい、功力に相応した長さの金線が延びる)を使って、言葉を書くならば、他の力、言霊も数霊も応援する神々が寄り集まってくることになります。

強い力で書けば書くほど、それは変化をもたらすことが出来るでしょう。

その2  道教、仏教、神道等、御札を書くのに、宗派による違いはあるのか
想念を持って、事柄を実現させようという者(効果を顕すのに手伝う神)の系統が違います。力を与えている者の系統が違う訳ですが、結果として、その札の効果が違うかどうかは、その想念を働かせる者の力に応じて変化していきます。

つまり、仏教ならば、何とか菩薩や如来とかが実現に向かい手伝うし、神道ならば、日本の神々、例えば天の御中主神や国の御柱神が手伝い、道教であれば、太上老君や玉皇太帝といった具合です。

依頼された神が、その札を書いた者や、使う者の力や品性、徳性を考慮して、手伝うか否かを決定するのです。
宗派による違いではなく、書く者、使う者、その者の力と品格によって、相違が出てきます。

宗派によって、書き方が全く違うことは、すでに分かっていることです。
日之本元極功法は、すでに、言霊の力、数霊、色霊の力を持っています。そして、全ての神々に通じています。

その力を持て、そこに全ての力を生かそうとして札を創るならば、別段、色を使ったり数を使ったり、言霊を使ったりしなくても日之本元極独自の方法でそれが叶うことになります。
日之本元極には、道教、儒教、仏教、諸子百家、更に神道、キリスト教などあらゆる宗教諸派に拘ることなく、伝統的に全ての神々を祀ることを遂行してきた結果、全ての神々が力を貸して、協力して下さいます。

よって、日之本元極にて作成されたものであれば、簡単なものであっても、それは大きな効果を現すことになってきます。
それらの効用を駆使し活かされたグッズが、カードや、場創りセット、龍の旗等なのです。
 (つづく)


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御札、霊符、呪符、護符などの道理が、全て書く者の想念に寄ることは前回まででお話ししました。

もちろん、想念を込めて書くことは、言葉にも通じます。
その言葉を現そうとする想念こそが、言霊という力なのです。

御札に功力があるとされるのは、書く力、言霊の発する力が、実現させようとする想念が神界に届き、神界で実現されて、願いが叶うことが、その札に込められているからです。
その想念の力が強ければ強いほど、想念を持つ者の力が強ければ強いほど、結果は実現する事となります。

思ったことが実現する力、日之本元極の功法と同じ事が、その札で行われているということです。
その札に託す思い、その思いの強さ、その者の力によって、札の力は、左右されることになります。
 (つづく)

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陰陽道で有名な「安倍晴明」の神のお話しはつづきます。

現在、霊符について研究している者達について
彼らの殆どは、単なる意識の収集家、紹介者です。
多くの事柄を学び、それを紹介する役割を十分に果たしている者も居ます。

しかし、彼らに、力があろうはずもなく、彼ら自身にも、自らが力を発揮している等と思うそんな気持ちは持ちようもないでしょう。そこのところは、有る程度、この道をまじめに進もうとするものには判ることです。

問題は、何も分からず自分にも出来ると思う輩(やから)達です。

さて、霊符、呪符などと呼ばれるものは、どのように働くのか、これについて話しましょう。
札には、込められた想念が働きます。札に込められた想念が、働くときには、その想念にに力が無ければ出来ません。

宗教、団体、宗派、色々やり方、書き方が種々有るなれど、それら手法には、効果、働きの強さなどは、何も関係がありません。書き物の形も関係が無く、何を書くかも関係が無く、書く為の作法や、どの宗教、団体に属しているかも、全く関係がありません。

その想念に力が有る無しに関わって、想念がどう働くかも、札に込められた、書いたことに込められた想念、その想念の強さが全てを決定します。
 (つづく)

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御札に詳しい神様というふうに呼んでみました所、陰陽道で有名な「安倍晴明」の神が出ていらっしゃいました。以下、「安倍晴明」の神のお話しです。

このお札を使う方法は、私が広く世の中(日本国内)に広める役割をしました。
それは、間違いではない事なのですが、それまでにも、多くの神々が無形の形で結界を作るというようなことを、すでに実践してこられました。

その実践してこられたことを有形の札などで示しただけのことです。
私が示したことを僧侶や力ある者、修練者、真似て拡げていきました。
神道における禰宜や権禰宜もその仲間に入ります。
山伏に代表される修験者たちもそうです。

それらは、多くの受け入れられるものを作り出しました。
私がしたことが広く拡がったのは、流言によって、人々に受け入れられてひろがりました。
宗教心があっても宗教が拡がらなかった日本において、うわさによって、札を使う因習が拡がりました。

そして、おおくのものたちが私のもとで習うことで、札を広く広める役割が果たされました。今日、秘密裏に使われてきた札の類は、このほかにもたくさんあります。
多くのものに教典として授けたという点で、意味があったのだと思います。

もちろん、間違いも拡がりました。
 (つづく)

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御札、霊符、呪符、護符などと言われているものが有ります。
神社などで求める、お守りやお札もその一つです。
これって効果があるのでしょうか?

そして、誰が書いても(作っても)同じように効果的なのでしょうか?
あまりあれこれ考えないで買ってきますよね。

このお札について今日はお話ししてみたいと思います。

色々調べてみると、仏教、神道、修験道、道教、神仙道、儒教等、宗教、宗派に寄らず
存在するようです。しかし、皆その方法は違い、それぞれの手法や描き方、作法があるようです。

そこで、御札に詳しい神様というふうに呼んでみました所、あの「安倍晴明」の神が出ていらっしゃいました。

ほんとかな?とお思いになるかもしれませんが、そのお話しをお聞き下さい。
 (つづく)

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BABATANUKI(ばばッチィたぬき)が、神様のお酒好きについて書いています。
そのブログは、こちら

昔から「御神酒(おみき)をあがらぬ神は無し」と言うように、神事と酒はつき物です。
随分前から神様にお聞きして、一番お好きな酒が、埼玉の「神亀」だと知っていました。

「本物を作らせている」と言われていました。

飲んでみて、「なるほど」と合点のいく味です。ちょっと入手が難しいのが欠点ですが、この味を知ったら少々のことは我慢出来ます。

本日(2009.07.29)の中日新聞朝刊に大きく紹介されていました。
この味を作り出すまで、色々苦労なさったんだなあと感心しました。
一度皆さんも飲んでみて下さい。

酒なら「神亀」、ビールなら「飛騨高山麦酒」がピカイチなのが、絶対お判りになります。

これが判らない人は、味覚音痴です。

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2007年のこと、「階み」の講座を開催するときだったかに、老子の神に教えを請うたことがありました。本題は、「階み」功訣(6)に関連した内容のことでしたが、同時に次のようなこともお話しして下さいました。

 私は精神的な融和を図ること、精神の状況を穏やかにすることについて、説法をしてきたと伝えられています。私は、精神的な事柄だけではなく、精神を定める、心を落ち着けることで気が満ちて充満するということも発見しています。そして、時を穏やかに過ごして、落ち着けると気が満ちてくるという身体と精神の気の様子についても発見しています。

 常に、身体的苦痛は、心理的苦痛を伴い、心理的な苦痛は、身体的な苦痛を伴うという二輪の関係であることを強く指導してきました。

 宗教は、心と身体を穏やかにするものであり、宗教そのものの是非ではなく、信じる気持ち、穏やかな万物を尊ぶ気持ちこそがそのことを実現するのだと、私も解いているところです。
(元極功法の中でも精神的な迷いや、混迷が三元を浪費することは強く説かれています。)

 これからは、あなた方の説いている「神」の存在を母として、大地として、全ての事柄が動いていくことになります。

宗教の言う特定の神のみを尊んだり、他を排したりするのではなく、広く大きく全ての神の存在を肯定し、導きを仰がねばなりません。

大地が育てた精神をあなた方が受け継いで、その精神の元に、あなた方が活躍してくれることを喜びに感じています。

(歴史的には、老子は孔子より先の人であると伝えられていますが、一連のお話しの中で、儒教の孔子や孟子の後に生きた人で、それら先人の導きによって教えをまとめて書物にしたのですと、語っておられました。)

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先日、久しぶりにリニューアルした「階ふた」の講座を開催しました。この「階ふた」に上がれる者は、ほんの限られた「徳」の高い者でしか有りませんが、その先「階み」に至っては更に更にハードルが高いと言わざるを得ません。

随分前に「階み」の講座を開催するときだったかに、老子の神に教えを請うたことがありました。「階み」功訣(6)に関連した内容のことです。

ふたえみえ さんげんわする めぐりみち
やえやまこえて めぐみのはたえ
む ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここ たり う

日之本元極の功訣は、一音一音の響きが、その無限の効用を発揮するので、全て平仮名で書かれています。もし漢字にすれば、その漢字の持つ限られた意味に効果が限定されてしまうからです。

敢えてこの功訣を漢字にすれば、

二重三重 三元和する 廻り道 八重山越えて(肥えて) 恵みの畑へ(二十重)

というようなものになります。
これなら誰にでも、意味は分かります。

三元が、いくつかの体内の道(経絡など)を通り、また多くの難関(病んだ臓器など)身体の中を廻る という意味もありますが、ここでは、

二重三重の数々の山を乗り越えて、ようやく恵みを得ることが出来る畑へ来ました。しかし、更なる恵みの畑へは二十重でもあるのです。ここから更なる畑への旅立ちとなるというような意味になる訳です。だから、これからも本当の意味での苦難が続くという意味に取れます。 

漢字にしたら、上のように誰にでもその意味が分かることだけでなく、二重の「ふ」だけでも、無限の意味合いを持ち作用させている事を知るべきです。
  (つづく)

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