お知らせ

昨年四月、御紹介しましたゴルフのジュニアでの有望株。

勝みなみさんは、もうメジャーになってしまいましたが、

もう一人注目していました岡崎錬君。

トヨタジュニアゴルフワールドカップの日本代表選手に選ばれました。

皆さん応援して上げて下さい。

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張先生は続けます。

神があたえる運命は過酷でしたが、
それとて今後の元極功法に課せられた役割にくらべたら、
なまぬるいものでしたから、
はやく肉体がなくなる時を念じたのです。


元極功法の進展は、私が肉体を失うことで加速度的に動きがありますから、
そのことをお伝えしておきます。

その後、張先生を導いていらした神よりのお話がありました。

張が、自ら命を絶った、その苦労に比べたら、
今の元極修練者達の苦労など、たいしたことではありません。
あなたも、導きに従っていち早く張家界に来る手筈を整えなさい。
これは重大なる役割です。

(つづく)

お知らせ

張先生からのお話が続きます。

まず西から風が 吹きます。そして、その後、世界に向かって風が吹きます。
それが「こち ふく」風です。
あなたが今、話を受け取っているのは、南部なまりのある
(私が受け取るのは意識を受け取るので、なまり等はわかりません。
ただし、声が聞こえるように受け取れる特異効能者は、
声の抑揚やなまり等も受け取れる者も居ます。)

私の顕在意識であった意識です。


有形の墓と張家界は、私が通った道でもあります。
そこに来てくれたときに、お話をします。
今後の元極功法は、ますます巨大な功力を持つ功法に発展していきます。
ただ、まだその力が発揮されていないだけです。
それらも含めて、張家界で お話をしましょう。

私が元気でおれば、益を求めて集まってくる者達が大勢いました。

そうではなく、私はあまり役立たない、何も出来ない、してやれない。
それを多くの人に示さなければなりませんでした。

すでに、次の者に力は渡しています。
私には力がない。
私の力を渡した者がいることを示さなければなりませんでした。

私は、力を渡したその後は、死を与えられることを急ぎました。

今の中国のこの体勢の中では、この世にいては、何の役にも立ちません。
(現在中国国内で法的に認められている気功の類は、「六字訣」「八段筋」「五禽戲」「易筋経」の四つです。
これらは、気を自ら取り入れるだけの功法で、他人に作用させることが出来る功法は認められていないのです。

肉体が失われて、次世代の手伝いが一刻も早く出来るようにと望みました。

私は、神から この寿命を与えられましたが、自らもその寿命が早く終わるように願いました。
そのために、神の与える偶然ではなく、必然的に生命が閉じられる方法を願ったのです。

(つづく)

お知らせ

張先生は、昨年2011年12月3日に亡くなられたのですが、

1943年12月2日生まれでいらっしゃいましたから、

正に68歳になるのを待つようにしてお亡くなりになりました。

その張先生よりのお呼びの言葉です。



私は すでに 仏となっております。

あなたがたが、張家界に行ったときに

(このお話の後、私は1月の中旬に中国湖南省張家界に行きました。)お目にかかります。

そこにある無形の墓とは、私の湖北省に実際に存在する有形の墓にも繋がります。



私の墓地(かめ注;実在する張先生の墓の場所の敷地を言う)から、

「はか(この『はか』の意味は、日之本元極のさとりの法シリーズを受講するとお判りになります。)」に

多くの者達が通じて、天に昇れるように、あなたがたを迎えたいのです。

その為に、あなたは今後の元極を広める仕事をしていってください。



私は、何もかも仕組みの中で生きてきました。

あなた方も静かに時の仕組みを待ちなさい。

私が歩いてきた道を、続けてあなたが歩きます。

私が開発した功法が、何とも賑やかな功法となって、花咲かせています。



花開いた功法が、こち(東風)吹く力によって、

日本中に花咲かせて、そこから世界中に花咲かせます。



こち ふく 風が吹きます。


(かめ注;「こち」とは、通常東風と書くので、文章としておかしいと思われるでしょうが、

単なる「ひがしかぜ」のみを言うのではないので、わざとこのような表現になっている。)

(つづく)

お知らせ

張先生がご自分で病気を造られたのには理由が二つあります。

1.現在の体制内では、元極功法を普及することが出来ないこと

  元極の掌門人は、神上がることが約束されています。上の次元からは、
  自在にこの三次元物質世界に貢献することが可能です。
  よって制約があり、貢献出来ない世界に留まることより、神上がることを選択されました。

2.自分の病気を、自分で治せないことを見せることで、次世代に力を渡したご自分には、
  もう力がないんだよということをお示しになりました(実際には力があるにも関わらず・・・)。

昨年の夏頃から「中国の墓に行きなさい」と何回も言われていました。
それが年末になって、具体的に湖南省張家界に来なさい。」と呼ばれたのです。
まさか、張先生のだじゃれじゃあるまいし・・・・
(つづく)

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お知らせ

ずっと公表することを控えておりましたが、
その理由と共に公表することを許されましたのでお伝えいたします。

昨年(2011年)12月3日に、張志祥先生がお亡くなりになりました。

そして、それからひと月もしない、年も押し詰まった頃、
先々代の張先生のお母様も97歳で寂滅なさいました。

360年生きると言われる元極の掌門人が、次々とお亡くなりになることは、
おかしいじゃないかとお思いの方々もいらっしゃることでしょう。


でも、これは予定されていたことでした。我々には約1年半前から
「張には、もうあまり時間が残されていません。」
と知らされていました。

張先生は、肺癌でお亡くなりになりました。
多くの他人の癌を治してきた先生が、ご自分の癌を治せないわけがありません。

実はこの癌は、ご自分でお作りになりました。
無くせる者が、それを造ることは他愛もないことです。
しかし、何故でしょう。(つづく)

お知らせ

「階み」の理論編の中で、世界中で、完璧な歩き方の出来る六人に上げてあった中村芝翫さんがお亡くなりになりました。

数少ない、伝統を伝えられる人がまた一人いなくなって、残念です。

長く生きることで役割を果たす方もいらっしゃれば、立派な業績を残された方であっても、あっけなく短い生涯を遂げる方もいらっしゃいます。

神々は、肉体を持って生きることを単なる上昇のための期間としか捉えていません。

早々と亡くなっても、神上がることが出来れば目出度いことなのです。

ご自分が、ご自分の役割をしっかりと果たせているか一緒に見直してみましょう。

 2000年8月 中村芝翫さんをはじめ、3世代がそろった会見。(前列左から)児太郎、宗生を抱いた中村芝翫さん、国生(後列左から)福助、橋之助
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 2000年8月 中村芝翫さんをはじめ、3世代がそろった会見。(前列左から)児太郎、宗生を抱いた中村芝翫さん、国生(後列左から)福助、橋之助

古風で端正な女形として知られた歌舞伎の人間国宝で、文化功労者の中村芝翫(なかむら・しかん、本名中村栄次郎=なかむら・えいじろう)さんが10日午前
0時50分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。5歳で中村児太郎を名乗り初舞台を踏み、67年七代目芝翫を襲名。6年前に肝臓がんが
発覚し、病と闘ってきた。最期は長男の福助(50)、次女の夫・勘三郎(56)、孫の児太郎(17)らが見守る中、天国へと旅だった。同日夜には都内の自
宅で仮通夜が営まれ、約150人が弔問に訪れた。

 歌舞伎界を支えた名女形が逝った。

名古屋・御園座で公演中の長男・福助は、公演を終え、亡くなる直前の10日午前0時近くになって東京都内の病院に到着。10分ほど会話を交わした。福助の
長男・児太郎は「父を待っていたかのようでした。神様って優しいなと思いました」と最期の父子の対面を振り返った。福助や勘三郎、長女、勘三郎の妻・好江
さん、児太郎ら孫、ひ孫らも看取(みと)った。次男・橋之助(46)は京都での公演のため看取ることはできなかったが、妻で女優の三田寛子(45)が携帯
電話を芝翫さんの耳元にかざし、最後の会話をした。

2005年、芝翫さんに肝臓がんが発覚。本人への告知はされないまま、抗がん治療が施された。うすうす気付いていた様子も見受けられる中、舞台に上がり続
けた。今年1月の「新春大歌舞伎」を途中降板したが、8月の「花形大歌舞伎」は最後まで務め上げた。9月1日に出演した「秀山祭九月大歌舞伎」(新橋演舞
場)が最後の舞台となった。

 出演後、すぐに入院。何度か病状は悪化したものの、一時は退院できるのではと思えるほどの回復ぶりだった。

大の競馬好きでも知られる芝翫さんは、先日、入院中に100円で買った馬券が最後は80万円になったという。勘三郎が「『お前たちには3000円しかやら
ない』と言われて、みんなで『ケチだ』って笑っていたんですよ」と明かした。病気の回復を願って、子や孫たちが千羽鶴ならぬ、馬の折り紙を折っていたとい
う。

 生前、芝翫さんは棺に「花なんか入れてくれるな。入れたらばけて出るぞ」と話していたそうで、その言葉通り、これまで折ってきた2千数百個にもなった馬の折り紙を入れる予定だ。

 初舞台を踏んだ5歳で父・五代目中村福助を亡くし、孤独とも言える環境で生きてきた芝翫さんだが、最期は大勢の家族に見守られて安らかな眠りについた。